ECLIPSE_202301_26-29
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 1月までは自己条件の2勝クラスでくすぶる存在だったヴェラアズールが、その秋には芝の王道路線で日本競馬の頂点に立つ─。これほどのまでのサクセスストーリーが、かつてあっただろうか。山あり、谷あり。月並みの表現ではあるが、『ここまでの道のりは決して平たんではなかった』というフレーズが、ピッタリ当てはまる馬生だ。デビュー前にさかのぼろう。1歳秋、左トモの骨折が発覚した。すぐに手術を行い徐々に乗り込みを進めたが、2歳3月、今度は右前肢の深管が痛むように。4カ月後には左前肢に骨りゅうが出はじめた。まさに満身創痍の状態。同期のクラブ馬レシステンシアが阪神JFを制し、2歳女王の座に就いた時もまだ、北海道のノーザンファーム空港で調整していた。栗東トレセンへの移動は3歳2月と、同世代からはかなり遅れを取った。この時のことを、管理する渡辺薫彦調教師はこう振り返る。 「本当にバリバリ乗れたのは2月からでした。何とか新馬戦には間に合わせようという気持ちがありました」入厩したヴェラアズールを見た関係者が口をそろえた、「骨りゅうで脚がボコボコ」という言葉通り、お世辞にも万全とは言えない状態ではあった。それでも、1週間でゲート試験に合格。急ピッチ気味ではあったが、乗り込みを進めて迎えた初陣。指揮官が目標としていた世代最後となる関西圏の新馬戦(阪神ダート1800m)に、エントリーすることができた。結果は断然1番人気に推された有力馬の後塵を拝す形で2着だったが、デビューまでの苦労を考えると意味のある2着だった。 「ジャパンCを勝ってから、空港のC■1厩舎に顔を出して勝ち祝いをしていたんですが、スタッフさんたちも〝決めつけ過ぎず、諦めずにやって良かったな〟と言っていました。少し乗ると痛くなる、少し乗ると痛くなる…その繰り返し。それでも諦めずに、頑張った甲斐がありました。いろいろ学ばせてもらいましたね」もちろん、ターゲットに定めた新馬January 2023 vol.25226    20/6/28 3歳未勝利 阪神 ダート1800mText: 山本 裕貴─ジャパンカップ優勝─想像を超え続けるシンデレラボーイ ヴェラアズールが描いた道のり

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