ECLIPSE_202512_7-11
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「創刊号には247頭の種牡馬を収録。血統、競走成績、種牡馬成績のほかに立ち姿も掲載されており、6000円という当時としては高価格でしたがこんな本はなかったし、パーソロンやテスコボーイなど、輸入種牡馬が急増する背景もあり、需要が高かったそうです」ド血統大系』を創刊する(写真②)。「競馬は種牡馬はもちろん、牝系も大事です。『サラブレッド血統大系』には、明治期を含めた戦前に輸入された繁殖牝馬で子孫が絶えることなく続いている160頭と、戦後に輸入された繁殖牝馬969頭などを収録。これが、のちのブラックタイプにつながります」の母系と主な産駒成績がわかるとあり、これも高価格だったが需要があった。商業ベースには乗らないような書籍を次々と手掛けた白井透氏。その心中にはどんな思いがあったのだろう。「商売よりも〝日本の競馬に、必要なものを作りたい〟という使命感を持っていました。『日本の種牡馬録』を作る際、種牡馬撮影に強いこだわりを持っていましたね。今は現地の写真家が撮影しますが、当時は白井自らがチームを組んで撮っていました。私もその現場に助手として立ち会っていました。透さんは、完璧な立ち姿が撮れるまで粘ります。きちんと立たない馬がいると自ら脚を動かしますし、テープレコーダーに入れた馬の鳴き声を聞かせて馬を撮影するアイデアを浸透さそして、1971年には『サラブレッ繁殖牝馬になっていれば、その牝馬このように値段が高く、一見するとせたのは、透さんでしょうね」1970年代から80年代にかけて、8             ハイセイコーブーム、ジャパンカップ創設などもあり、中央競馬は飛躍的な成長を続ける。それがサラブレッド血統センターの事業を後押しした。競馬四季報の誕生そんな中、誕生したのが『競馬四季報』だ(写真③)。「日本の競馬新聞とイギリスの競馬専門誌『タイムフォーム』を組み合わせて1冊のデータ本にするという発想から作られました。競馬新聞の馬柱に記載されているレース名、距離、タイムなどの情報を横書きにして並べ、競馬記者の短評を加えたものです」当初は中央競馬の関東全馬と関西のオープン馬のみだったが、それでも掲載馬の全成績を収録するには膨大な作業が必要。しかも、年に4回の発売でデータの更新も必要になる。当時、コンピューターはなく、作業には相当な苦労があった。「アナログの時代ですから、写植やロゴを台紙に貼り付けて作成していました。数名のスタッフで連日、手作業でまとめ上げていったようです」1980年には関西版も創刊。当時は関東で関西馬の情報を得るのは難しく、関東のクラシック競走に出走する関西馬は「西の秘密兵器」と呼ばれた時代だ。そんな状況下に登場した『競馬四季報』は競馬ファンにとって心強い存在だった。日本初となった本格的なセリ名簿多くの競馬関係者から絶大な信頼を得ているのが、1975年から制作事業が始まった「ブラックタイプ」だ。ブラックタイプとは馬の牝系をさかのぼり、その牝系からどんな活躍馬が輩出されてきたのかを一定のルールの元、文字の太さで強弱をつけて表現したものである。一定の基準を満たした主要レースの優勝馬を、ブラックタイプ(太ゴシック体)で強調をつけて表示。海外のブラックタイプのほとんどは太ゴシック体と本文書体(明朝体)の2書体しかないが、サラブレッド血統センター考案のブラックタイプは太ゴシック体、中太ゴシック体、細ゴシック体、本文書体(明朝体)の4書体。近親にブラックタイプが多いほど、活躍馬を輩出した血統になるため、キャロットクラブ会員の皆様も募集馬カタログを見る際に、注目する方が多いのではないだろうか。日本語による独自December 2025 vol.287写真③『競馬四季報』創刊号。2022年には通巻200号を達成した写真②『サラブレッド血統大系』。第5巻まで刊行された写真④『ジェネラル・スタッド・ブック』。サラブレッド血統センターにある最古のものは1827年発行─日本競馬の血統を守り抜く─サラブレッド血統センターの功績と、これから

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