ECLIPSE_202512_7-11
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ダーレーアラビアン、ゴドルフィン7        アラビアン、バイアリーターク。この3頭はサラブレッドの三大始祖と呼ばれ、世界中のサラブレッドの父系をたどっていくと、すべてこの3頭にさかのぼる。今、話題のTVドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』の初回放送でもこの三大始祖をイメージさせるセリフが登場し、話題となった。日本国内はもとより世界中で脈々と継承されている血統データを収集し、競馬関連の出版物を通して日本の競馬を支えてきたのが、サラブレッド血統センターだ。実は、キャロットクラブの募集馬カタログに掲載されているブラックタイプの制作や、会報誌にて新種牡馬やクラブ縁の牝系、募集馬に関するコラム記事の執筆なども担当している。画期的な書籍を次々と送り出す1970年に白井透氏によって法人化されたサラブレッド血統センター(創業は1968年)。透氏の父は啓衆社の創業者であり、「馬柱」を用いた競馬予想紙のスタイルを考案するなど、戦前から戦後の日本競馬で先駆的な試みを行った白井新平氏。弟の白井民平氏は馬術選手として活躍した後、北海道門別町(当時)で白井牧場を創業した人物である。サラブレッド血統センター創業の経緯を、常務取締役の□一郎氏に伺った。「私が弊社に入ったのは1986年なので、聞いた内容としてお伝えします。新平さんは苫小牧で牧場も経営されており、馬産地や地方競馬に大きな影響力がありました。イギリスのダービー馬(パールダイヴァー)を初めて種牡馬として日本に輸入したのも、新平さんです。透さんは大学卒業後、啓衆社に入社。競馬新聞を作りながら、欧米のセリや種牡馬を見て回りました。その時の経験が、サラブレッド血統センター創業につながりました」透氏がケンタッキーのセリ市で手にしたセリ名簿には上場馬の血統と繁殖成績、母系の活躍馬が詳しく記載されていた。当時の日本の状況とはかなりの差があり、衝撃を受けたという。「その頃、日本にはセリ名簿がなく、父母と生産者名、連絡先が書いてあるくらいの簡素なものでした。だから、日本にも取り入れたいと考えたんです」帰国後、啓衆社を辞めてサラブレッド血統センターを創業した白井透氏は、競馬やサラブレッドに関する書籍の出版を開始。1969年に『日本の種牡馬録』を出版した(写真①)。写真①『日本の種牡馬録』創刊号。種牡馬の立ち姿が収録された画期的な本だったTex t: 小島 友実─日本競馬の血統を守り抜く─サラブレッド血統センターの功績と、これから

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