あってのことだ。意図して取り組んできたことが競馬につながったのは、よかったと思います。まず、あの一歩目を見て、安心しました」は、マイクロバスの中で場内実況を聞いていた。ていたんですけどね。最後の最後に聞こえたので、勝ったことは分かりました。あんなに迫られてるとは、思わなかったです。あとでVTRを見返して、意外と危なかったことを知りました。でも、レーン騎手の好騎乗でしたよね。他の馬たちが動いても焦らずに待てたぶん、最後まで走り切れたんだと思います」うに見えたし、逆に心配になるぐらい。でも、勝負どころではハミを取りましたからね。最後はドキドキしましたが、相手に来られたら来られたぶんだけ、前に出ていました。正直、まだ上がり目があるぐらいの状態だと思っていましたし、よく頑張ってくれたと思います」合った。岡本調教助手は安堵の思いが強いという。普段以上に緊張していました。調整過程で今までと違うことを取り入れていらは落ち着きを取り戻してくれたし、その中でも元気良く歩けていたと思います」返し馬に送り出すと、岡本調教助手は向こう正面の発走地点に向かった。レース前に、ゲート入りの確認をするためだ。岡本「菊花賞ではゲート入りを渋るところがあったので、ダイヤモンドSの時から返し馬のあとに慣らしで(ゲートの中に)入れるようにしたんです。天皇賞の時も、同様のパターンで臨みました。その成果はあったと思います」実際、あれだけのトップスタートを切れたのも、陣営の念入りな対策が土田「スタートが抜群に良かったし、枠入りまで付き添った岡本調教助手岡本「全然、名前が呼ばれないと思っ土田「道中は折り合いすぎているよレース後、ふたりは握手して喜び岡本「今回の天皇賞、自分の中ではたし、調教の強度も合っているのか、目に見えない疲れがあるんじゃないかなど、僕的には思うところがあったので…。やっぱり、G1となると、何かしらのチャレンジをしていかないといけない。それに馬が応えてくれたので、すごく解放感のような気持ちに包まれました」なお、この両者は一昨年の日本ダービーで悲運に見舞われたスキルヴィングの担当と、調教役も務めていた。岡本「一生、忘れられないです。あのダービーも勝てるんじゃないかと思っていたし、まだまだ上を目指せた存在。残念以外の言葉がありませんし、馬にも申し訳ないことをしてしまいました。あの出来事があったからこそ、今の自分がある。当時、何か見逃していたことがあったんじゃないかとも思いますし、常に細かい変化を見逃さないように、最善を尽くしていきたいです」そこは、木村調教師も同じ気持ちだ。「キャロットクラブさんには毎年、期待馬を預けていただいています。あのようなこともありましたし、ようやくG1を勝つことができて、ホッとした気持ちは大きいですね。また会員の皆様と喜びを分かち合えるよう、目の前の仕事に取り組んでいきます」最後に、今後のビジョンを伺った。岡本調教助手は「まだ上がありそうですし、あってほしいですね。それと個人的には長距離だけじゃなく、中距離路線でも見てみたいという思いがあります。そこに挑戦するには、また違った修正点が出てくると思いますし、馬と一緒に僕自身も成長していきたいですね。レーン騎手も『まだ伸びしろがある』と言ってくれましたし、いろんな可能性を引き出したいと思っています」と、気を引き締める。木村調教師は「何とか種牡馬として北海道に戻したい。この先、また大きなタイトルを獲らせてあげたいと思っています」と、熱く語った。秋の目標は流動的だが、選択肢のひとつとして、凱旋門賞にもエントリー。さらなる高みを目指し、この秋以降も大きなステージで素晴らしい走りを見せてくれるはずだ。Writer profile 15和田 稔夫 Toshio Wada1974年生まれ。競馬専門誌『週刊Gallop』記者(美浦担当)。大学4年時、トラックマンを夢見て競馬エイト編集部にアルバイトで潜り込む。その後、サンケイスポーツレース部を経て週刊Gallop編集部に配属。以来、現場一筋で誌面の本誌予想を担当。木村哲也厩舎をはじめ、美浦を中心に幅広く取材活動を続けている。
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