ECLIPSE_202504_10-14
5/5

©JRA町の豊洋牧場門別支所に繋養され、種牡馬としては南関東三冠馬でのちに中央競馬に移籍後、天皇賞・春、宝塚記念を勝ったヒカルタカイや、皐月賞5着、ダービー5着のち、秋に重賞3連勝を記録して菊花賞で2着となるコウライオーなどをはじめ、中央・地方競馬で多くの活躍馬を送り、また母の父としてはアイフル(1976年最優秀4歳以上牡馬、天皇賞・秋など重賞5勝)、キシュウローレル(72年最優秀2歳牝馬、阪神3歳S、デイリー杯3歳S、桜花賞2着)、ゴールドイーグル(東海桜花賞、黒潮盃、マイラーズC、サンケイ大阪杯)などを残している。役馬カフェニクスの9代母として、今もなお、その血を広げようとしている。社台ファームの生産馬、及び社台ファームの種牡馬別生産馬は、別表にまとめたので、ご覧いただきたい。吉田善哉氏が、どのような馬づくりを目指していたかのヒントが、読み解けるかもしれない。ここで少々横道に逸れるが、牧場創業当時、社台牧場が導入した種牡馬以外で、吉田善哉氏が求めた血を少しだけ紹介しておきたい。ライジングライト(42年生=昭和17年、英国産、父ハイペリオン=ゲインズボロー系)は、昭和30年に同じ千葉県のシンボリ牧場が導入した良血種牡馬。半兄ペイアップ(父フェアウェイ)は昭和2000ギニー優勝馬で、叔母には昭和7年(1922年)の英オークス勝ち馬ポグロム(父レンベルク)や、同2着、オークス2着、秋には英セントレジャーに勝ったブックロウ(父バッカン=サンドリッジ系)などがおり、本馬自身も英国で15戦して重賞のジョッキークラブS(14ハロン)含め7勝と、優秀な成績を残した馬で、ほかダービー5着、セントレジャー2着と、3歳春から王道を歩み続けた馬だ。高齢となってからの導入だったために8年間の供用だったが、昭和34年の菊花賞をレコード勝ちしたほかセントライト記念や京王杯オータムHなどに勝ったハククラマや、目黒記念、京王杯スプリングC、CBC賞(当時はダート1800m)などに勝ち、繁殖牝馬としても成功するスイートワン、その全弟ハヤトオーや中山記念に勝ったスイートラペールなどを残し、また母の父としてはスピードシンボリ(年度代表馬2回)、トーヨーアサヒ、プリマドンナなどを残して、シンボリ牧場のみならず、日本の生産界レベルを大きく引き上げている。国産、父ウォーアドミラル=マンノウォー系)は1952年(昭和27年)に、ジャーナリストでのちにランチョトマコマイを創業する白井新平氏によって外国産競走馬として輸入され、3歳11月にデビュー。デビュー前から脚部不安に悩まされていたというが、デビューしてからは比較的コンスタントに使われて、通算23戦9勝2着5回。3歳11月、デビュー3戦目に記録した初勝利は、同年春の天皇賞をレコード勝ちしたミツハタ(48年生、父クモハタ)を相手にしたもの。未勝利馬が天皇賞馬と同じレースで走るというのも時代を感じる話だが、67キロの斤量を背負ったミツハタを、55キロの斤量でハナ差破っている。の三浦牧場で、同34年から昭和42年に心臓破裂によって死亡するまでは日高リンボー(49年生=昭和24年生、米現役引退後、昭和29年からは青森県その後、社台牧場による海外からの種牡馬導入はやや停滞するも、昭和34年(1959年)にフェリオール(昭和26年=1951年生、父ファストネット)を導入。社台ファームも多くの繁殖牝馬を同馬のもとに送っている。そして、社台ファームの歴史に欠かすことができないガーサント(昭和24年=1949年生、父バブルス=ハーミット系)を昭和37年(1962年)に導入し、その後次々と導入される種牡馬たちによって社台ファームの種牡馬事業が本格化するのだが、この2頭は次号に。(第3回・了)April 2025 vol.27914昭和29年(1954年)ダービーデー 群衆でにぎわう競馬場12年(1927年)の英1000ギニー11年(1936年)の英国         History of great stallions 偉大な種牡馬の歴史─第3回 社台スタリオンステーションの源流 社台ファーム種牡馬事業のはじまり─

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る