©JRA©JRA場(白老町)の冬季育成、および生産馬の売買を目的に設立された千葉社台牧場が本家の社台牧場から独立し、社台ファームと改名した年でもあった。季節は秋で、当時、千葉社台牧場の場長として辣腕をふるっていた吉田善哉氏が34歳の時だったという。その2年前に導入されたブラックウヰング、フランクリーの初年度産駒が1歳夏を超え、そして、1年遅れて種牡馬生活に入ったトリプリケートの産駒が離乳時期を迎えようとしていた時期だ。ただし、登録上「社台ファーム」という名称が使用されるのは昭和37年生まれ世代からなのだが、ここでは分かりやすくするために、昭和31年以降の同牧場生産馬はすべて社台ファームと記す。ご了承いただきたいと思う。ではなぜ、社台牧場から独立した千葉社台牧場(社台ファーム)が、6年もの間、旧名称を使用していたのか。詳しい記述がないので想像の域を出ないのだが、日本中央競馬会が昭和38年から「生産者ランキングの集計を始めたこと」と無関係とは思えない。その甲斐(?)あって、昭和38年に発表された生産者ランキングの首位は29頭でた「社台ファーム」だった。◎社台ファームの種牡馬事業昭和31年(1956年)の春、独立したばかりの社台ファームで種牡馬生いが、セイユウ(JRA顕彰馬)に代表されるように、その強烈な遺伝力は従来のサラブレッドと伍したという。また2世代目産駒のオーテモンは天皇賞・秋に優勝。5世代目産駒チトセホープは牝馬2冠を制するなど、14年間の種牡馬生活で産駒の通算勝利数は1379勝。これはライジングフレーム導入からンテーストに抜かれるまで、長きに渡って国内トップの成績を維持し続けた。ナーの逝去によってエリザベス女王の所有馬となった馬で、大外枠を引き当ててしまったダービーで2着。後のキングジョージⅥ&クイーンエリザベスS2着、セントレジャー4着という一流馬だった。競走生活の後半は喘鳴症を発症していたらしく、そのため日本に導入されたとも言われているが、種牡馬としては優れた中距離スピードを伝えてフェアーウイン(59年生、青森・浜中牧場生産)、メイズイ(60年生、群馬・千明牧場)と、2頭のダービー馬を送り出した。フレームや、この馬の導入から2年後に日本の地を踏むヒンドスタンによってチャンピオンサイアーという称号を得ることはできなかったが、大きな足跡を残している。◎千葉社台牧場(旧社台ファーム)創立もう1頭のゲイタイムは、前オー残念ながら数で圧倒するライジング1955年(昭和30年)は、社台牧ゲイタイム(GB)ライジングフレーム(IRE)11Gainsborough:S3□M4 Chaucer:S4□M5Pharos:M3□S4 Cyllene:S5□M5Hyperion栗毛 1930Rockefella黒鹿毛 1941Rockfel黒鹿毛 1935Felicitation鹿毛 1930Daring Miss栗毛 1939Venturesome鹿毛 1933ライジングフレームゲイタイムThe Phoenix鹿毛 1940Admirable黒鹿毛 194272勝を記録し、3649万円を獲得し 43年後の1995年11月5日にノーザGainsboroughBayardoRosedropChaucerSerenissimaSeleneSpion KopFelkingtonFelsteadSantorbSweet RocketRockliffeColoradoPhalarisCanyonFelicitaCantileverBest WishesSolarioGainsboroughSun WorshipOrbySimon LassOrlassKircubbinChateau Bouscaut鹿毛 1927RamondieFille de Poete栗毛 1935FirdaussiFille d'AmourNearco黒鹿毛 1935PharosNogaraCraig an EranSilvia鹿毛 1927AngelaCaptivationAvon HackNeil GowLa RillePharosBrownhyldaHurry OnFriar's DaughterPhalarisScapa FlowHavresacCatnipSunstarMaid of the MistLomondLa Danseuse
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