い。これらはサイアーラインとしてはその血を後世に残すことはできなかったが、血統表の中で社台グループ躍進の礎となったことは、のちの歴史が証明することとなった。◎ライジングフレームとゲイタイムしかし、この時代には日本のサラブレッド史を語る上で外すことができない2頭の種牡馬が、日本中央競馬会の前身ともいえる農林省競馬部によって導入されている。ブラックウヰング、フランクリーと同じ年に導入されたライジングフレーム(昭和22年=1948年生、父ザフィニクス=ベンドアー系)と、その翌年、つまりトリプリケートの導入と同じ年に輸入された英国産馬、ゲイタイム(昭和24年=1949年生、父ロックフェラ=ゲインズボロー系)だ。しかし、ここは社台スタリオンステーションの歴史を振り返るところなので、簡単に紹介だけしておく。ライジングフレームは英国産の良血スプリンターと表現されることが多いが、父が愛国の2000ギニー、ダービーの2冠馬で、母が愛オークス馬。デビューから4連勝で挑んだ英2000ギニーで5着。ダービーも5着だから良血は良血でも、スプリンターと言うよりもマイラーと表現すべきだろう。大種牡馬ネアルコの父ファロス3□4のクロスを持ち、武器はスピード。導入当初はアラブ系繁殖牝馬との配合が多かったらし◎社台牧場が残したもの前回は、戦後の経済制裁解除とほぼ時を同じくして、当時の社台牧場が輸入したブラックウヰング(46年生、米国産、父バラデイヤー=ドミノ系)、フランクリー(45年生、米国産、父ヘリオポリス=ゲインズボロー系))、トリプリケート(41年生、米国産、父レイカウント=サンドリッジ系)の3頭を紹介した。ここで言う「社台牧場」とは、吉田善哉氏の父・善助氏が昭和3年に創業した牧場のことだ。かなり大雑把に振り返ると、ブラックウヰングは成功種牡馬パパレッドバードの全弟ながらも異系血脈らしく母の父として成功し、デルマーダービー優勝馬のフランクリーは菊花賞馬ラプソデーはじめ、種牡馬として多くの活躍馬を送った。また、トリプリケートは欧米をまたにかけて活躍し、種牡馬としても米国で大成功したレイカウント直仔。短い供用期間を考えればまずますの成績を収めたが、それ以上に米国で大きく枝葉を広げたレイカウントの血を、いち早く導入したという点で意義深いものがあった。当時は戦後の混乱期。昭和27年4月和条約によって、日本が主権国家として独立を果たした後とはいえ、まだ輸入品目に対する外貨は割当制。自由とは程遠い時代背景の中で、個人の牧場がほぼ同時期に3頭もの種牡馬を導入したことは、驚き以外の何ものでもなApril 2025 vol.2791028日に発効されたサンフランシスコ平 Text: 山田 康文History of great stallions 偉大な種牡馬の歴史─第3回 社台スタリオンステーションの源流 社台ファーム種牡馬事業のはじまり─
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