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私がクリスチャン・デムーロと初めて会ったのは、2003年の夏。1992年生まれの彼が、まだ11歳の頃。場所はイタリアだった。この年、ネオユニヴァースを駆って皐月賞(G1)と日本ダービー(G1)を制したのが、彼の兄のミルコ・デムーロ。まだ短期免許で来日していた時代だが、3冠に王手をかけて臨む菊花賞(G1)を前に、イタリアにある彼の家を訪ねた。その際、インタビューに応えるミルコの後ろで、器用にステッキを回転させて遊ぶクリスチャンに、初めて会った。「僕は将来、ミルコみたいになるんだ!」叫ぶようにそう言ったクリスチャン少年の笑顔が、印象に残ったものだ。「はい。ミルコはいつも僕の目標であり、先生でした」クリスチャンが最初に乗った馬は、ポニーだったという。「まだ小さい時に乗ったんだけど、怖かったのを覚えています」怖かった理由は、思わぬところにあった。「僕にまだ何の技術もないのに、乗るなり、ミルコがポニーのお尻をバシバシ叩きました。当然、ポニーは疾走するし、僕は落とされないようにするだけで必死でした。あまりに危ないから、お母さんが『ミルコ、やめなさい!』って止めに入ってくれたんだけど、それでもミルコはやめてくれませんでした。『クリスチャンはジョッキーになるんだから、ポニーの上でバランスを取れないようじゃダメだ!!』とか言ってね」初めての出会いから、ちょうど10年が過ぎた2013年の春。目標へ向けて1つ階段を上ったクリスチャンはイタリアで騎手になり、短期免許で来日。急遽の代打騎乗となったアユサンで、桜花賞(G1)を優勝。ミルコ騎乗のレッドオーヴァルをクビ差退けて、桜の女王の座を射止めてみせた。「本当に嬉しかったです。前の年は、騎乗予定だったハナズゴールが直前に回避になって、この年は当初乗る予定だった馬の賞金が足りず、除外になっていました。すごくガッカリしたところから、まさか騎乗することができて、しかも勝てた。本来なら乗っている予定だったゲンキ(丸山元気騎手)には申し訳ないけど、嬉しかったし、ラッキーだと思いました」クリスチャンが言うように、当初アユサンには丸山元気が乗る予定だった。しかし、前日の競馬で落馬をして怪我を負い、騎乗できなくなった。そのため、クリスチャンに白羽の矢が立てられたのだ。「乗れるジョッキーが沢山いる中で、僕をチョイスしてくれた手塚(貴久調教師)先生や、オーナー関係者、それに手塚先生を通してですが、アドバイスをくれたゲンキにも感謝しました。僕自身、これが初めてのG1勝ちでもあり、当然嬉しかったです。ミルコは悔しがりながらも、自分のことのように祝福してくれました。ミルコにポニーで英才教育を受けていなければ、勝ったのはミルコだったかもしれません」ちなみに直線、先頭に躍り出たクリスチャン=アユサンだが、1度はミルコにかわされている。最後に差し返しての戴冠だったわけだが、これは丸山February 2025 vol.27712              チューラワンサ 10/27(日)東京 2歳未勝利 1着Text: 平松 さとし─Jockey's File─Interview with Cristian Demuro

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