ECLIPSE_202409_10-12
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ヴィンシーJRAはやや悔いの残る演技となったが、今回が連続5回目のオリンピック出場となった大岩がMGHグラフトンストリートに騎乗して会心の演技を披露した。その結果、日本は暫定5位につけた。翌日は、総合馬術のメイン競技、クロスカントリーだ。会場のヴェルサイユ宮殿の森の中には、全長5149mのコースに28障害が設置された。この中には、コンビネーションと言って数個の障害物で構成されるものも含まれており、実際に馬が飛越する回数は40回を超える。ここで日本の3人馬は強さを見せた。北島&セカティンカ4人揃って表彰台に上がった北島・大岩・田中・戸本(左→右)JRAが減点を規定タイムオーバーの6・4に抑えると、大岩&MGHグラフトンストリートと戸本&ヴィンシーJRAはノーミスかつ規定タイム内でゴールして減点0、日本はメダル圏内     ションが行われる。これは、審判員と獣医師による馬の健康状態チェックで、前日にクロスカントリーを走った馬が競技参加にふさわしい状態にあるかを確認するものだ。ここで、セカティンカJRAがホールディングボックスに送られた。ホールディングボックスとは、競技参加適性がクリアではない馬が獣医師による検査を受けるもので、ここでのチェックの後、再びインスペクションを受けて合格/不合格が判断される。この時点で、北島と監督、チーム獣医師は、2回目のインスペクションを受けずに棄権することを選択した。メダルが見えていたところでの苦渋の判断だったが、馬術競技で最も重要なのは馬のウェルフェアであり、それをおかすことはできなかったのだ。これにより、田中&ジェファーソンJRAが障害馬術のみ出場することになった。後に田中は「それを聞かされて、鳥肌が止まらなかった」と振り返った。交代により日本チームには減することとなった。もうメダルには届の3位に入った。最終日の朝には、ホースインスペク点20が加算され、ここで5位まで後退かない、と諦めかけたが、それでも可能性はゼロではないと、再び気持ちを高めて最終競技に臨んだ。出場が決まってから、わずか2時間ほどでアリーナに立った田中。タイムオーバーの減点1・6を負ったが、障害物の落下はなかった。これが戸本と大岩を勇気づけた。戸本&ヴィンシーJRAはクリアラウンドして減点0。日本チームの最後は大岩だった。実はここまでに上位国に減点があったため、日本は再び3位に浮上していた。点差は小さく、障害物を落下すればメダルはない。しかし、大岩はそれを知らされることなくスタート、ベストを尽くすことだけを考えて走行した。結果、1秒のタイムオーバーで減点0・4。ガッツポーズをしながら退場する大岩に、チームメイトが「銅メダルだ」と声をかけると、大岩は一瞬驚いた表情をしてから、涙を見せた。日本は銅メダルを獲得した。この4人は日本の総合馬術史上最強のチームであり、だからこそ「金メダルを獲りたい」と公言してきた。しかし、オリンピックのメダルはそんなに簡単ではない。4人と、それをサポートする人々の諦めない気持ちと覚悟が、馬術ではメダルを引き寄せた。朝、どん底に落とされた選手の気持ちは、一気に最高潮に引き上げられた。「奇跡」、「ミラクル」という言葉を、彼らの口から何度も聞いた。実は、ミラクルはこれだけではなかった。交代がなければ田中はリザーブのままでオリンピックを終えていたが、最終競技に出場したことで正選手になり、4人揃って表彰式に出てメダルを手にすることができたのだ。交代がなければ日本は団体銀メダルを獲得していたかもしれない。しかし、それよりも4人揃って銅メダルを獲得したことが何よりも嬉しかった。 〝初老ジャパン〟の愛称は、パリに向けた事前合宿中に選手や監督が考えたものだ。技術はもちろんのことだが、11選手にはメダル、そして馬にはリボンが贈られる92年ぶり、総合馬術としては初めての

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