Ceasario_ECLIPSE_202403
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先日、「ウマ娘」にシーザリオが実装されることが発表されました。これにより世間では同馬が再び脚光を浴びているそうですが、ニュースを聞いて個人的にもすごく喜ばしく感じました。なぜなら、自分にとってシーザリオは忘れられない馬だからです。2005年の夏、シーザリオのアメリカンオークス挑戦を取材するため、間ほど滞在していました。当時はまだ東スポに入社する前で、別の夕刊紙に所属していた頃。決して大きな会社ではなかったにも関わらず、あえて米国まで記者を派遣することを決断した理由は、大きく2つありました。まずは、レース発走時刻が日本時間の月曜早朝だったため、新聞の締め切りと重なる〝夕刊タイム〟のレースだったこと。そして、春2冠で強い能性が高いと踏んだからです。た。今でこそ、日本馬の強さは世界中ありました。います。 「はるばる日本から来たんだね。でも、それは正解だったと思うよ。日本はシーザリオだと思う」競馬をしたシーザリオならば勝てる可とはいえ、個人的にはそう簡単にはいかないのではないかと感じていましで知られていますが、当時は香港や欧州では結果が出始めていたものの、米国ではまだ1頭もG1を勝っていなかったからです。アメリカンオークスでは前年にダンスインザムードが2着と好走していましたが、それでも3歳牝馬の米国遠征には半信半疑な思いがしかし、ハリウッドパーク競馬場で取材をしていたある日、偶然現地に居合わせたケント・デザーモ騎手に話を聞く機会に恵まれたのですが、同騎手の言葉を聞いて「これはひょっとするのでは!?」と感じたのを、よく覚えての馬は素晴らしいし、シーザリオも本当に強い馬だから。自分が乗る予定だったディアデラノビア(骨折で米国遠征を断念)がいたらライバルになっていたと思うけど、残念ながら出られなくなってしまったしね。1番強いのはたしてレースではデザーモ騎手の予言通り(?)に、シーザリオが4馬身差の圧勝をおさめました。馬自身のポテンシャルの高さや、巧みなエスコートを見せた福永祐一騎手の手腕もさることながら、角居勝彦調教師が施した周到な準備も印象に残っています。入念な下調べのうえ、シーザリオがスムーズに米国の環境に順応できるようアプローチしたほか、厩舎スタッフには馬よりも前に現地入りさせていたのです。その狙いについて、角居調教師は「人間が現地の環境に戸惑っていては、馬にもいい影響がありませんから。先に入って、慣れてもらったんです」とおっしゃっていて、「なるほど!」と感心したことを覚えています。カリフォルニアの真っ青な空のように、フレンドリーで温かったハリウッドパーク競馬場の人々。場内のビュッフェで自分で作って食べたオリジナルバーガーは、過去最高の美味しさでした。一方でカジノが併設されていたためか、日が沈み始めると不気味で物々しい表情を見せる周辺の環境も、米国らしさを感じさせてくれました。月日は流れ、そのハリウッドパーク競馬場は廃止。角居調教師は引退し、シーザリオもこの世にいません。とても信じられない思いです。しかし一方で、福永騎手がトレーナーとして新たなキャリアをスタートさせ、シーザリオの血統が日本競馬界に脈々と受け継がれていることを考えると、2005年のアメリカンオークスの歴史的な価値の高さを再認識させられます。あの夏、あの瞬間を現地で体験できたことは、競馬記者として大きな財産であり、生涯忘れえぬ思い出です。         925歳の私は米国・ロサンゼルスに1週Columnist profile 藤井 真俊 Masatoshi Fujii東京スポーツ新聞社・レース部記者。1980年4月8日生まれ、埼玉県出身。2004年から美浦トレセンで取材を続け、蛯名正義調教師や柴田善臣騎手、三浦皇成騎手のコラムを担当するほか、週末には予想コラム「ザ・飲ンフィクション」を連載中。「BSイレブン競馬中継」「ラジオ日本 土曜競馬実況中継」解説者。ハリウッドパーク競馬場の思い出。筆者は今より20キロは痩せていました(左が競馬場、右上メディアパス、右下ハリウッドのチャイニーズシアター)~Forever CESARIO~vol.62005年の夏。色褪せない記憶

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