ECLIPSE_202405_11-13
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す。(中略)完歩が広い豪快な走法からも砂の豪傑へと育ちそう…』と書か       れている。2歳春にノーザンファーム早来からしがらきへと移動して、デビューに向けてのトレーニングを行っていた頃には、体重も1歳時の458キロから480キロまで成長していた。力強いキャンターで坂路調教をこなすようになり、2歳の6月には栗東トレセンの高野友和厩舎に入厩。ゲート試験に合格すると再びノーザンファームしがらきで調整され、7月末に高野厩舎に帰厩すると、仕上がりの良さから出走へのゴーサイン。、夏の小倉競馬でのデビューが決まった。芝1800mでの初戦は2番手か1勝目 19/12/1 2歳未勝利 阪神 ダ1800mら。ペースが上がるとポジションを下げたものの、最後はまたエンジンが掛かってじわじわと伸び4着。 「まだ緩さはありますが、初戦としては言うことのない内容。性格も素直で、とても乗りやすかったです。今日、実戦でしっかりと動かしたことは必ずプラスになるはず」とデビュー戦の手綱を取った藤岡康太騎手は、そう話していた。 「馬場も悪く、3コーナー過ぎではしんどそうでしたけど、直線は盛り返して6着。集中できていないのかもしれないので、馬具なども考えます」と高野調教師はコメント。3戦目では「血統からダートを使ってみたい」(高野師)と、転機が訪れた。ト1800mではハナに立つと、しっかり脚を使って待望の初勝利。明け3歳となっての初戦、2月2日の京都競馬では、昇級戦ながら2番手から抜け出す強い競馬で、2勝目を挙げた。ダートに転向して2連勝。砂の血が花開いた。走の伏竜ステークスは、キックバックで初めて砂を被ったこともあり、直線失速し12着。放牧を挟んで立て直しを図りむかった7月の阪神・インディアTでは積極的な競馬で、直線は後続を引き離して優勝。ただ、ポテンシャルの高さがありながらも、馬群に揉まれ 2戦目は京都の芝2000m。そして迎えた12月1日阪神競馬ダーその後、3月末に臨んだオープン競ると手応えが悪くなるなど、精神的な脆さの課題が見えた1戦でもあったという。それ故か、その後もレースの流れいかんでは大敗したり、課題が浮き彫りになっていく。そのような中、4歳となって迎えた初戦、2月の阪神競馬・加古川ステークスでは、先行から粘りきって優勝。10月には同じく阪神・太秦ステークスでも積極策で勝利と、やはり揉まれないことが好走の条件だった。それは名古屋グランプリや佐賀記念と地方の馬場に臨んでも同様で、ブリンカー着用が裏目に出たこともあった。二桁着順が続いていた2022年7月、ライトウォーリアは19戦5勝の戦績を残し、中央競馬から地方競馬・南関東への移籍が決まった。ダートオープンで戦うにはそれが賢明だと、外厩のミッドウェイファームで調整されることになった。5歳の夏のことだ。 「ライトウォーリアが入ってきた週に、担当していたノーヴァレンダが心臓麻痺で亡くなったんです。途中で倒れたら騎手が怪我をしたかもしれませんが、ゴールするまで我慢して倒れた。厩務員になって11年、担当馬とのああいう別れは初めてだったので、ショックを引きずっていました。まさかノーヴァレンダを超える成績を挙げる馬に出会えるとは、思ってもいませんでした。だからビックリしましたし、今までのことが全部報われた気がしました」と話すのは、瀬戸貴博厩務員。表彰式での涙のわけは、そういうことだったのだ。ライトウォーリアの活躍には、瀬戸厩務員の尽力が大きい。5着に負けた白山大賞典のあと、ライトウォーリアの上がり運動を2時間かけてやっている姿を、吉原騎手に目撃されている。 「ミッドウェイファームが厩務員として初めての仕事場だったのですが、狭く深い仕事です。何よりレースに直結しますので、やりがいがあります。ライトウォーリアは暑い時期に来たので、まずは疲れを取ってあげることから始めました。悪かった右トモが治ってくると、カイバもよく食べるようにMay 2024 vol.268125勝目 21/10/16 国)太秦S 阪神 ダ1800mライトウォーリア 川崎記念制覇までの軌跡─7歳で始まる第3章へ─

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