ECLIPSE_202404_24-29
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イラストレーター・おがわじゅり。毎日5時間はPCに向かい、子育てをしながら1日も休まずイラストを描きつづけている。生み出された作品は、競馬場の壁面に描かれ、博物館に展示され、ターフィーショップなどでグッズも販売され…、いまや、その絵を知らない競馬ファンはいないだろう。どうやって馬のイラストレーター・おがわじゅりは誕生したのか。これまでの半生と、これからの夢についてインタビューをした。馬との出会いは漫画だった。 「中学2年生の時に、週刊少年マガジンで連載されていた競馬漫画『風のシルフィード』(本島幸久作、1989─1993連載)に出会ったのがきっかけです。競馬って、かっこいいなぁって思いました。そして、よしだみほ先生の『馬なり1ハロン劇場』には、大きな影響を受けました。たまたまではありますが、ペンネームもおなじように平仮名ですし」神奈川県川崎市出身のおがわじゅりさんだが、小さな頃は馬を近くで見られるような環境ではなく、家族に競馬ファンがいたわけでもなかった。 「競馬漫画に出会う前、小学生の頃から土曜日に学校から帰ってくると、午後はなんとなくテレビの競馬中継をつけて、見ていました。でも、本当に競馬がおもしろいと思ったのは、漫画を読んでからですね」競馬場に初めて行ったのは、中学3年生の時。G1レースの時にだけ、東京競馬場に連れていってもらった記憶があるという。 「競馬を観るようになって、馬の仕事をやりたいと思うようになりました」高校1年生の時、北海道の恵庭市にあるばん馬の牧場に実習に行った。そこにポニーがいてかわいいと思い、自分でも飼いたいと思うようになった。 「ただポニーは希少で高くて、ロバなら安くお迎えできるかなと考えたんです。でも、親は反対しました。そして、『関東で、タダでロバをゆずっていただけるところを見つけたら飼ってもいい』と言われたんです」おがわさんの実家は農家だったので、飼うためのスペースはあった。あとは、譲ってもらえるロバを探せばいいだけ…!おがわさんはそれから手当たり次第に電話帳に載っているお宅へ電話をして、埼玉県秩父市でロバを譲ってくれる方を自力で見つけ出した。オスのロバで、シナモンと名付けた。 18歳の時、おがわさんはシナモンを連れて、北海道のサラブレッドの生産牧場に就職をした。シナモンと、家財道具と、車を馬運車に積んでもらって、北海道へ向かった。「ロバも一緒に行っていい」というのが、その牧場を就職先に選ぶ決め手となった。 「連れていって早々、牧場の方に『しつけがされてないね。まず去勢した方がいいよ』と言われたので、近くの診療所でシナモンの去勢をしていただくことになったんですが、その去勢をしてくださったのが、今ノーザンファームでゼネラルマネージャーをされてい         る中島文彦先生だったんです!」中島先生はシナモンの去勢手術を終えたあとも、何度も消毒をしにおがわさんの元へ足を運んでくださったそ漫画が大好き愛〝ろ〟馬でつながった縁April 2024 vol.26724はじめて描いたイラストは乗馬クラブでの出来事をまとめたもの笑顔のイラストレーター おがわじゅり~食べる・寝る・描くがモットー 馬のイラストレーター~Text: 栗林 さみ

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