ECLIPSE_202403_14-17
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ビッグショウリのマイラーズC優勝、ビッグテーストの中山グランドジャンプレコード勝ちなどを含め、JRAの芝、ダート、障害で全₅₅勝。当時の賞金体系で₁₃億5000万円以上の入着賞金を稼ぎ出している。このクラフティワイフは生涯で₁₄頭もの産駒を残しているが、牝馬はわずかに4頭。その中でもっとも優れた競走成績を持っていたのが、キョウエイフォルテだった。クラフティワイフの第5仔として、そして記念すべきノーザンファーム生産馬一期生として産声を上げた同馬は、3歳4月とデビューが遅れたものの、出走経験馬を相手にしたダート1800m未勝利戦を快勝。その後、7ヵ月間の休養を余儀なくされるが、復帰後はダート短距離路線を休むことなく使われ続けて力をつけ、5歳秋にオープン入り。同年₁₂月のシリウスSでは福永祐一騎手を背に3着となり、翌年1月のガーネットSは岡部幸雄騎手とのコンビで4着となるなど、通算₄₀戦。クラフティワイフ系の代名詞でもあるタフさと成長力を兼ね備え、長く、タフに活躍した。のキョウエイマーチとともにノーザン2000年暮れのこと。「当時、G1競走には手が届かなかったけれども、ビッグショウリやイブキハイシーザーが高いレベルで活躍してくれていたので、クラフティワイフ系繁殖牝馬には大きな可能性を感じていました。キョウエイフォルテは重賞勝ち馬の全妹で、オープン馬。牧場に戻せるものなら、戻したいと思ったけれども、まさか本当に戻してくれるとは思わなかったです」と、ここでもまた吉田勝已代表は、松岡正雄氏に対して感謝の言葉を並べた。そのトレード話は、キョウ     エイマーチと同じタイミングで行われたというが、まさに運命のターニングポイントともいうべき1日となった。フティワイフが遺した牝馬たちは活躍馬を量産する。ブリリアントベリー(₉₀年生、父ノーザンテースト)はカンパニー(₀₉年JRA賞特別賞)、ヒそのキョウエイフォルテが、同い年ファーム遠浅にやってきたのは、そんな吉田代表の期待通りに、クラストリカル(毎日杯)、レニングラード(アルゼンチン共和国杯)らの母となり、もう1頭の牝馬エヴリウィスパー(₉₇年生、父ノーザンテースト)はトーセンジョーダン(天皇賞・秋、札幌記念)、トーセンホマレボシ(京都新聞杯)を送ったうえに、その仔アドマイヤキラメキ(₀₂年生、父エンドスウィープ)はセンテリュオ(オールカマー)、トーセンスターダム(VRCエミレーツS)の母となるなど一大ファミリーを築き上げるのだが、その中でも、後にひときわ大きな輝きを放ったのが、キョウエイフォルテだった。その期待は初年度にサンデーサイレンスを配合したことでも窺い知れるが、フレンチデピュティを配合されて生まれた2番仔フォルテピアノはノーザンダンサー3×4、ボールドルーラー4×5のクロスから得られたスピードを武器に、ダート短距離を3勝。この配合の確かさを証明するかのように、その全弟サウンドアクシスもまた、ダート短距離を主戦場にオープン級まで昇り詰めている。そうなれば、今度はスタミナ、芝適性が欲しい。フォルテピアノには積極的にサンデーサイレンス系種牡馬が配合され、ステイゴールド産駒のアインザッツは京都競馬場芝2200m戦の1勝クラスを勝ち上がり、マンハッタンカフェ産駒のパルティトゥーラは2歳秋の東京競馬場・芝1600mの新馬戦を快勝するなど、デビューから5戦で3勝をマークするなど高い素質を垣間見せた。準オープン級に上がったあとは、不運が重なって思うような競走生活を送ることができなかったが、それでも繁殖牝馬としてサトノクラウンとの間に第₉₀回日本ダービー優勝馬タスティエーラを輩出。ファミリーに大きな勲章を与えている。サラブレッドは、宿命的に淘汰選択を繰り返して進化を続けてきた。それを否定するつもりはないが、時には執念にも似たこだわりが、大輪の花を咲かせることがある。ナミュールのマイルチャンピオンシップ優勝、あるいはタスティエーラのダービー制覇は、そんなことも教えてくれた。(山田康文)17フォルテピアノの4番仔パルティトゥーラ(右)と、その2番仔スパルティート(牝)これまで10頭の仔を当クラブ送り出したフォルテピアノ。隣は5番仔クリストフォリ

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