サラブレッドの血統は、悠久の歴史ロマン。時代を超え、国境をまたぎ、そして数え切れないほどの人間の情熱によってつむがれてきた。それは、ある時はショートストーリーのようでもあり、また時には終わりがない長編小説のように壮大だ。第₄₀回マイルチャンピオンシップを制したナミュールの物語は、今からおよそ100年前の昭和5年(1930年)、オーストラリアから輸入されたシュリリー(1925年生、父トレクレア=ベンドア系、母ウオアフープ、母の父マルトスター)にさかのぼる。5代母のパウダーが1862の英国オークス馬フードジョワの半妹、7代母エキステンポーアは1843年の英国1000ギニー優勝馬。遠くさかのぼれば、1907年に小岩井農場が輸入したアストニシメントと同一ファミリーで、1967年の凱旋門賞馬トピオ(ミスターシービーの母の父)や1983年の第3回ジャパンカップ優勝馬スタネーラも同じファミリーだ。シュリリーは、帝室御賞典(東京)や目黒記念、横浜特別、内国産古馬連合競走など₁₃勝をあげたハクリュウ(父ラシデヤー)との間に、1943年の第4回京都記念(芝3500m)など9勝のドトウ(1939年生、第弐シュリリーの繁殖牝馬名で、1959年桜花賞3着オーロラの祖母)などを送り出したが、後継繁殖牝馬は2頭しか残すことができなかった。そのドトウの2歳違いの半姉が、英国産輸入種牡馬で1940年(昭和₁₅年)のリーディングサイアーとして名を遺すレヴューオーダー(父グランドパレード)を父に持つ、第一シュリリー。今回、クローズアップするナミュールの9代母だ。この馬は競走馬としてはアジアカチドキの名で2勝を記録したのみだったが、繁殖牝馬として目黒記念など₁₇勝のクニハタ(牝、父クモハタ)と、その全妹で天皇賞・秋など₁₇勝したほかダービー3着、桜花賞3着、菊花賞3着のクインナルビーを送り出す。クインナルビーは繁殖牝馬としても成功し、その初仔カツトシ(₅₅年生、父トサミドリ)は₁₇戦8勝の成績で、早来町(現在の安平町)の吉田権三郎牧場で種牡馬入り。また、8歳時に産んだスターナルビー(₅₇年生、父ハロウェー)はオグリキャップ(年度代表馬)オグリローマン(桜花賞)の4代母となり、翌年に産声をあげたスズキホープ(₅₈年生、父ブッフラー)は、1984年の最優秀ダートホースに選ばれたアンドレアモン(₇₉年生、父リュウファーロス)の曾祖母となるなど枝葉を広げていたが、ここでは、その詳細は避ける。そんなクインナルビーが₁₁歳のときに3頭目の後継牝馬として産んだのが、スズキナルビー(₆₀年生、父トサミドリ)。活躍馬カツトシの全妹として期待され、₂₆戦4勝(障害2勝含む)の成績を手土産に、生まれ故郷の日東March 2024 vol.26614 G1優勝馬の源流をめぐる旅~未来を拓く、ノーザンファームの血統づくり~Text: 山田 康文
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