ECLIPSE_202402_2104
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は、各地への移動など平気なキロフプリミエール(父サドラーズウェルズ)のファミリーが伝える自信と思える。2004年12月25日、阪神の芝1600mの新馬を福永祐一騎手が乗って、1分36秒7(上がり34秒6)でデビュー戦を快勝。年が明けると、中山の500万特別「寒竹賞」2000mに遠征。のちに若葉Sを勝ち日本ダービーで4着に入るアドマイヤフジ、皐月賞トライアルのスプリングSを制するダンスインザモアなどの牡馬相手なので4番人気にとどまったが、好位から2分01秒6(上がり35秒3)で抜け出して2戦2勝。数字以上に大きくみせる注目の牝馬クラシック候補となった。そのあとひと息入れると、桜花賞トライアルではなく、中山のGⅢフラワーC1800mを選んで1番人気で圧勝。3戦3勝となってオークスに向かうのかと思えたが、鞍上を公営の吉田稔騎手にチェンジして桜花賞に出走する。スケールを買われて1番人気となったが、勝ったのは福永祐一騎手の乗ったラインクラフトだった。福永祐一騎手がラインクラフトを選んだのは、当然の選択だった。コンビで4戦3勝の有力候補だったうえ、ラインクラフトを手がけるのは、北橋調教師とともに親代わりのように福永騎手をかわいがっていた瀬戸口調教師であり、かつ、ラインクラフト(父エンドスウィープ)は桜花賞向きのマイラーだった。シーザリオは上がり最速の34秒4で猛然と突っ込んだが、脚を余した印象の2着。ラインクラフトは、輸入牝馬ファンシミンを4代母に持つファミリー出身。この牝系はそのあと大きく発展し、近年ではキャロットクラブの誇るクリソベリルの一族とライバル関係にあるチュウワウィザード、ルヴァンスレーヴを送るファミリーとなった。なぜ、ダイナシュートやダイナマインなど軽快なスピードを誇ったファンシミン系が、ダート巧者の一族として蘇ったのか。牝祖にあたるファンシミンの父は1954年のケンタッキーダービー馬デターミン(父アリバイ)であり、その謎ときのカギは、デターミンの祖母ブラウンビスケットで、伝説の名馬物語で甦ったシービスケット(89戦33勝)の半妹だからだろう、などとされる。シーザリオから首差の3着がデアリングハート(デアリングタクトの祖母)だった。いま思えば、おばあさん(シーザリオとデアリングハート)は同期の仲間だったのだから、2頭の孫になるデアリングタクト(父エピファネイア、母デアリングバード)が絶妙の配合となったのは、サンデーサイレンスの「4×3」だけが理由ではない。マイルの桜花賞を勝ったラインクラフトは、スムーズにオークスではなくNHKマイルCに出走することになり、2番人気でNHKマイルCを制している。2着も桜花賞組のデアリングハートだった。オークスのシーザリオは福永騎手に戻った。桜花賞の内容から、単勝1・5倍の断然人気になり、福永騎手は逃げ馬のいないメンバーを見て、先行策もほのめかしていた。ところが、出脚がつかず内枠で被せられる展開になり、レースは前半1200m通過「1分16秒5」の超スロー。そこからもなかなかピッチは上がらず、1600m通過タイムは「1分42秒2」。このペースは21世紀になって以降、もっともスローの記録になる。レースの上がり3ハロンは「34秒4」。まだ中団より後方にいたシーザリオ(福永祐一)は、とても間に合わないと映った。外に回り、同じキャロットクラブの勝負服のディアデラノビア(K.デザーモ)と並んで伸びたシーザリオが、内寄りで先頭に立っていたエアメサイアを鋭いストライドで首だけ差したのは、ゴール寸前だった。上がり33秒3。シーザリオに必要以上の負担をかけてしまったことを悔いた福永祐一騎手は、ホッとしながらも周囲に「申し訳ない。頑張らせすぎたレースだった」と、反省のコメントの方が多かった。シーザリオのオークスの翌週、日本ダービーを圧勝したのがディープインパクト(父サンデーサイレンス)である。33                 

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