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サラブレッドにも「ヴィンテージイヤー(当たり年)」と呼ばれる黄金世代がある。ディープインパクトが無敗の三冠馬となった2005年の3歳世代が、まさにそれだった。イギリスではモティヴェーターが無敗でダービーを制し、フランスでは牡馬シャマーダルと牝馬ディヴァインプロポーションズがそれぞれ二冠を獲得。アメリカでもアフリートアレックスが二冠を制覇した。そしてこの馬、シーザリオが史上初の「日米オークス制覇」を達成。キャロットクラブ所属馬初のJRA・GⅠ制覇と海外GⅠ制覇を成し遂げた。シーザリオは02年3月31日、ノーザンファームで生まれた。 04年12月の2歳新馬戦を福永祐一の手綱で勝ち、3歳初戦となった1月の寒竹賞では、アドマイヤフジ、ダンスインザモアら、のちに重賞ウィナーとなる牡馬に快勝。次走のフラワーCで、同じ勝負服のスルーレートに2馬身半の差をつけて重賞初制覇を果たす。つづく桜花賞では、福永がラインク2          ラフトに騎乗するため、名古屋の吉田稔を鞍上に迎えた。最後までよく伸びたが、ラインクラフトに頭差及ばず2着。言っても詮ないタラレバだが、06年暮れに増設された外回りコースなら、違う結果になっていたかもしれない。「トリッキーなコースのわりに頑張ってくれた」と、管理する角居勝彦は奮闘を讃えた。福永に手綱が戻ったオークスも厳しい戦いになった。4番枠から横並びのスタートを切るも、行きたがるのをなだめているうちに、後方3、4番手に。向正面で先頭との差は15馬身ほど。最後の直線に向いてもまだ後方だった。それでも、前はあいている。ラスト400メートル。内のディアデラノビアとともにストライドを伸ばす。さらに内から武豊のエアメサイアが抜け出しをはかり、勝負あったと思われた次の瞬間、シーザリオが並びかけ、そしてかわした。ラスト3ハロン33秒3という凄まじい末脚で、シーザリオは66代目のオークス馬となった。次走はアメリカ西海岸のハリウッドパーク競馬場を舞台とする、アメリカンオークス。好スタートから先行し、抜群の手応えで3、4コーナーを回りながら抜け出し、2着を4馬身突き放してフィニッシュ。日米オークス制覇の偉業を達成した。しかし、帰国後、右前脚に繋靭帯炎を発症していることが判明。復帰を目指すも叶わず、翌06年4月に引退。故郷のノーザンファームで繁殖牝馬となった。 3番仔エピファネイアは13年の菊花賞を5馬身差、14年のジャパンCを4馬身差で圧勝。 6番仔リオンディーズは、エアメサイアの仔エアスピネルに騎乗した武がプリート達成か、と思われたところを強襲して優勝した。こうした勝負強さは母譲りのものだろう。 「ウオッカはいろいろな人を受け入れながら強さを見せるタイプでした。それに対し、シーザリオは限られた人間にしか心を許さない、独特の世界を持った馬でしたね」 2頭の最強牝馬を、角居はそう評した。自分だけの世界を持っていた、ヴィンテージイヤーの女王・シーザリオ。その強さもまた、ほかのどの馬とも異なる、シーザリオだけのものであった。─本文中敬称略(島田明宏)November 2018 vol.20246Photo by JRA15年の朝日杯FSでJRA・GⅠコン

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