ECLIPSE_202402_01
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HOSOJUNSSLGHTLYDEEPTALKあれは何年前だったろうか…。場所は中京競馬場で、G1高松宮記念が行われた日だった。たしか勝利したのはセイウンコウセイだったから、その記憶が正しければ、かれこれ7年前ということになる。1人の男性が、「ある企画について、相談とお願いごとがあるので逢いたい」と私を訪ねてきた。長身細身で色白の猫背。見た瞬間にインドア派タイプとわかる感じで、普段からモニター画面と向き合った生活をしていることが容易に想像できる、30代くらいの男性だった。それが、後に大ヒットとなる「ウマ娘」と私の最初の出会いであり、その男性とは、TVアニメ「ウマ娘ダービー」第1期のプロデューサーを担当されていた伊藤隼之介氏だった。意外にも、今の大ヒットとはかけはなれた言葉から始まった。 「ホソエさん、今回の企画ですが、競馬を冒涜していると関係者の方々に思われてしまわないか心配で…。大丈夫でしょうか?」と、心配そうな面持ちだった。確かに、〝競走馬が人間の女の子〟という設定に加え、アイドルを思わせるコスチュームと歌。あまりの斬新さに私自身も理解不能な部分がありながらも、じっくり見てみると1頭1頭の馬の個性が的確に描かれており、私が騎手引退後に目指し、実践をしていた世界がそこに存在をしていたのです。のススメもあり、いまの仕事についたのですが、「実績もないジョッキー生活だった私に、何ができるのか?」と、自分自身でも分からない状況からのスタート。まずは現場であるトレセン取材から始めたのですが、その際に魅了されたのが、馬と1番長い時間を共に過ごす、担当者の方々の話だったのです。格があり、常に馬のメンタル面を気遣いながら向き合う担当者の方々の姿や話にのめり込み、当時、騎手や調教師談を主とするマスコミ関係者に対し、プリティー私は担当者コメントを中心に新聞やリポートでのトークを展開。その中で、厩務員さんの言葉を通して感じる馬の感情表現を言葉にしてみることや、「ダイワスカーレットは、デビュー当初の宮沢りえちゃんみたい」、「ウオッカは、アンジェリーナ・ジョリーのよう」と擬人化。また、馬の精神状態を見定める事項の1つとして、「レース当日にオシッコをしたか?しなかったか?」のレポートをしたりと、私自身が感じたままをストレートに表現。ナウンサーといった一部の同業者からは、「耳障り」「やめた方がいい」「公共の電波でオシッコというのはよろしくない」「ホソエさんは、いつまで経ってもと言うのも、騎手引退後、武豊騎手犬や猫と同じように、それぞれに性しかしその当初は、リポーターやア関係者側の人間」と、非難や苦言をされたことも多々あり、迷ってしまった時期や、周囲との関係性に疑問を抱いてしまったことも…。よって、伊藤プロデューサーの心配は痛いほど理解できるのです。そして、その一方で時の経過と共に、専門チャンネルで初めて取り入れてもらった、小さなカメラで担当者の方と馬を中心とした取材方法や、メンタルを重視するリポートが周囲にも徐々に受け入れられ、気づけば、まわりの取材風景もそうした形が増え始めていたのです。よって、タイミングとしても、今ならば「ウマ娘」も受け入れてもらえる体制が整っているようにも思え、「私は大賛成ですし、微力ですが、協力できることがあれば、是非お願いします」と、即答。そして、その経緯から、アニメの中で解説役・細江純子として登場し、声優に挑戦し、その後は、コンサートにおける司会や、ゲームの参加に至ったのです。これらのことから、今のウマ娘人気は、騎手引退後に感じた自分自身の考えが間違っていなかったことを証明しているようにも思え、私の中での誇りにもなっています。今月号は特集記事にウマ娘が掲載されるとのことで、「私とウマ娘の出会い」について紹介させていただきました。それでは皆さん、また来月、お目にかかりましょう。ホソジュンでしたぁ。© Cygames, Inc.' I                安定した走りを見せてくれますね。このままのペースを期待したいです!21Columnist profile 細江 純子 Junko Hosoe1975年愛知県蒲郡市生まれ。1996年にJRA初の女性騎手としてデビュー。2000年には日本人女性騎手初となる海外勝利(シンガポール)を挙げる。2001年引退後はホースコラボレーターとして、競馬中継のレポーターやナビゲーターを経験し、現在はフジテレビ「みんなのKEIBA」に出演。また各方面でのコラムも執筆中。CV:細江 純子ウマ娘やレースに造詣が深く、大きなレースではよく解説者として顔を出す。細江 純子

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