ECLIPSE_202311_11-15
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ら騎手を目指した。しかし、その父から反対され、競馬学校には行けなかった。それでも、アマチュアレースで勝利を重ねると、プロデビュー。現在は通年免許を取得し、日本を主戦場としているが、それ以前は生まれ故郷のフランスで乗っていた。 「フランスでは凱旋門賞と並んで、ディアヌ賞(フランス版オークス)の人気があります。僕は、そのディアヌ賞を3勝しています。でも、凱旋門賞は2着が最高で、勝てていません。第2の故郷である日本の馬に乗り、凱旋門賞を勝つのは、僕の夢。いや、夢以上のモノなんです」先述した通り、現在は日本で乗るルメールだが、10月の第1日曜日は、フランスで乗れるようにスケジュールを組むのが、毎年のルーティンだと言う。 「少し力んでいるのは分かりました」は、そう感じていた。            ファームの獣医師にも機上の人になっリーヴェイズの香港遠征時は、飛行機が大幅に遅れるアクシデントがあった。しかし、海外経験も豊富な尾関は「遠征にトラブルは付き物」と、プランBを常に頭に入れている。とくに今回は1頭だけでの輸送や、検疫厩舎も美浦ではなく、NF天栄だったことを考慮し、万全を期した。具体的には天栄を厩舎スタッフと共に訪ね、牧場側との意思疎通を密にした。また、ノーザンてもらうことで、1頭だけでの輸送によるトラブルに対処できるようにした。コーナー付近で観戦していた尾関ここまでは順調にきていた。グローこういった深謀遠慮の策に、追い風が吹いた。当初、フランクフルト経由を予定していた飛行機が、直行便に変更されたのだ。 「出国時には馬体をふっくらさせていたのですが、輸送がうまくいったこともあり、到着後も想定していたより減らず、464㌔ありました」シャンティイの数ある調教場の中でも、広大な芝コースを有すエーグル調教場で、1週間前の日曜日に追い切ると、3日後の水曜日にも再びエーグルで追われた。 「うまくいかなかった時のオプションも考えていたのですが、幸い、うまくいきました」馬群は坂を駆け下り、フォルスストレートを通過して直線へ。スルーセブンシーズが、追撃態勢を見せて、尾関の前を通過した。 「エンジンがかかってくれたと思いました。後はとにかく頑張ってほしいという気持ちで、応援しました」尾関がそう言えば、その時の心境をルメールは次のように述懐した。 「ずっとハミを取っていたので、エネルギーがなくなったと思いました。でも、直線で追うと、反応してくれました」それでも、ヨーロッパの高く厚い壁は頑強だった。外からエースインパクトが突き抜けたが、スルーセブンシーズの追い上げは届かず。4着までが精一杯だった。G1勝ちがなく、休み明けの上、長距離輸送でこのパフォーマンスは、立派に違いないのだが、尾関は複雑な表情で次のように語った。 「勝ちたい気持ちがあったので、悔しい反面、自分の管理馬ながら『よく頑張ってくれた』と感動する思いにもなりました」一方、ルメールは言う。 「長く良い脚を使うという、いつものスルーセブンシーズの競馬をしてくれました。凄く良いパフォーマンスです。日本でG1を勝つのも、時間の問題でしょう」敗れはしたが、ヨーロッパの最高峰がチラリと見えた。誇り高き敗戦は、必ずや今後のスルーセブンシーズを、また一段と強くしてくれるだろう。(文中敬称略)13

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