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そんなハットトリックが種牡馬生活の晩年を過ごしたのが、ブラジルだった。 16歳となった2017年、ブラジル南部のパラナ州チジュカス・ド・スルにあるサンタ・ヒタ・ダ・セハ牧場とスプリングフィールド牧場で、1年おきに供用されることが決まった。また、フィゲイラ・ド・ラゴ牧場、オールド・フレンズ牧場、エテルナメンチ・ヒオ牧場といったブラジル有数の生産牧場も種付け権を保有し、強力な支援を受けられることが約束された。ハットトリックという名前の馬が、サッカー王国ブラジルで種牡馬になる。もしかしたら、ハットトリックにとってブラジルは、生涯でもっとも「しっくりくる」場所だったのかもしれない。ブラジルの競馬と聞いて、何を思い浮かべるだろう。まずは、ジョアン・モレイラ騎手。モレイラ騎手はブラジルのクリチーバ出身である。2017年のワールドオールスタージョッキーズを優勝したエウリーコ・ダ・シルヴァ騎手も、ブラジル人である最近では、アグネスゴールドの産駒がブラジルで信じられないような成功をおさめているのを耳にする。また、ヴァンドギャルドが2023年から、ブラジル初のディープインパクト種牡馬としてオールド・フレンズ牧場で種牡馬入りした。日本競馬の歴史に詳しい人であれば、ハマテツソと中神輝一郎騎手のことを思い出すかもしれない。1967年、ハマテツソと中神騎手はサンパウロに遠征し、サンパウロ地区最大の競走であるG1サンパウロに出走した。中神騎手はそのままブラジルに残り、ブラジルで騎手として名を馳せた。しても、ブラジル競馬について咄嗟にあれこれ説明できる人は少ないだろう。そこで、ブラジル時代のハットトリックに対する理解をより深めるためにも、しばしブラジルの競馬事情を紹介していく。同じく、国際競馬統括機関連盟が定めるパートⅠ国に登録されている。競馬の歴史は長い。ハマテツソが出走したG1サンパウロは1923年に、ブラこうした断片的な情報は知っていたとブラジルは、イギリスや日本などとジルのダービーにあたるG1クルゼイロ・ド・スルは1932年に、ブラジル最大の競走であるG1ブラジルは1933年に、それぞれ第1回が開催された。2023年8月にブラジル・スタッドブックが公開した資料によると、ブラジルには306の生産者がいる。2250頭の繁殖牝馬と147頭の種牡馬が繋養されており、2022年に産まれたサラブレッドは1665頭だった。前年と比べると41頭増だが、1988年に記録した最高値の4922頭と比べると、3分の1まで落ちこんでいる。主な競馬場は5つある。リオデジャネイロのガヴェア競馬場、サンパウロのシダーヂ・ジャルヂン競馬場の2場が主要競馬場であり、ポルトアレグレのクリスタル競馬場、クリチーバのタルマン競馬場、ペロータスのペロータス競馬場の3場がローカル開催地のような役割を担っている。5場とも左回り。水曜日を除き、いずれかの競馬場で毎日開催がある。ガヴェア競馬場とシダーヂ・ジャルヂン競馬場は、芝コースがメイントラックとなっている。そのため、ブラジルの競馬は芝が主流である。現にブラジルのG1競走は、すべて芝コースで開催される。シダーヂ・ジャルヂン競馬場には、芝直線1000mのコースが備わっている。また、同競馬場ではアラブ馬によるレースも、1開催に1レース実施されている。レース賞金は年によって、もしくはレースによって異なるため、一概にいくらとは断定できない。だが、恵まれた金額とは言えない。賞金はその国の経済状況に影響されるため、日本やアメリカといった先進国の競馬と比較するのは酷である。 1レアルを約30円として換算すると、1着に与えられる賞金は条件戦で30万円、重賞競走で50万円、G1競走で年のブラジル・ダービーの1着賞金は4ある万G510ブ0ラ0ジレアルルは25、国万内レ最アル大だのっ競た走。でこの他に、ブラジル生産者馬主協会が主催する、高額賞金の2歳特別競走がある。勝ち馬には20万レアルから賞金が与えられる。11フィガロ30万レアルと、G1競走を上回る優勝60万円から150万円ほどである。今             

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