ECLIPSE_202310_10-14
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はじめに、少しだけサッカーの話をさせてほしい。Jリーグ公式データサイトによると、1993年に開幕したJリーグの歴史において、ハットトリック(1人では、記念すべきハットトリック第1号を記録した選手は誰か、知っているだろうか。『サッカーの神様』とも称され、後にサッカー日本代表監督も務めたブラジル人のジーコ氏である。Jリーグ開幕節(チームにとって最初の試合)となった1993年5月16日、当時鹿島アントラーズに所属していたジーコ氏は、名古屋グランパスエイトを相手に3点を決めた。それから30年が経った2023年3月12日、ジーコ氏はブラジルのリオデジャネイロにあるガヴェア競馬場にいた。その日に開催された2歳特別競走のプレゼンターとして、勝利した陣営に優勝トロフィーを渡すためである。ジーコ氏からトロフィーを授与されたのは、日本でもお馴染みのジョアン・モレイラ騎手。そのモレイラ騎手が勝利に導いた馬は、フィガロという名前のハットトリック産駒だった。Jリーグ初となるハットトリックを達成したブラジル人のジーコ氏が、日本産馬であるハットトリックの仔をブラジルで祝福する。この不思議な偶然は、いったいどのような経緯で起こったのだろうか。2005年にG1マイルチャンピオンシップとG1香港マイルを優勝。現役時代はキャロットクラブの所属馬として大活躍したハットトリックは、引退後は種牡馬として世界中を渡り歩いた。アメリカ、オーストラリア、アルゼンチン……。ハットトリックの総移動距離は、現役時代の香港遠征やドバイ遠征も含めて、ざっと計算したところ約12万キロだった。これは地球3周分に相当する。ハットトリックが様々な国から求められたのは、種牡馬として結果を出し続けたからである。アメリカ時代にはダビルシム、キングデイヴィッド、ウィンウィンウィンを、アルゼンチン時代にはハットプンターノ、ハットマリオ、サパータ、ジャイアントキリングというG1馬たちを輩出した。October 2023 vol.26110ブラジルを代表するモレイラ騎手&元サッカー選手のジーコ氏         のが達選成手さが1れた試こ合とには34点9以0上回取あるるこ。と)サッカー王国ブラジルを導いたハットトリック~リーディングサイアーに輝いた功績と栄誉を称えて~

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