ECLIPSE_202309_7-11
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11寺山所有馬のユリシーズに乗る、妻の九條今日子さん(撮影は寺山修司)善哉所有)■ハイプリンス(1967、社台ファーム千葉生産)■ラドールターフ(1967、社台ファーム生産)■トキノオール(1968、社台ファーム生産)■シャダイカール(1969、吉田善哉所有)■ラブ(1969、社台牧場生産)■シャダイプリマ(1970、社台ファーム生産、吉田善哉所有)■ハクチカツ(1972、社台ファーム生産)■カミノリュウオー(1973、社台牧場生産)■ジョーンズシャダイ(1974、社台ファーム生産)■ボールドチャイム(1976、吉田勝己所有)■シャダイダンサー(1977、社台ファーム生産、吉田善哉所有)■キーストン(牡、1962年生、父ソロナウェー、母リットルミッジ、高岸繁生産)……1965年のダービーを逃げ切った。が、2年後の阪神大賞典のレース中に骨折、予後不良に。逃げ馬が好きだった寺山は本馬の走りに「運命的なもの」を感じていた。■メジロボサツ(牝、1963年生、父モンタヴァル、母メジロクイン、富岡峰治生産)……出産直後に母が、デビュー前に父も世を去った。「孤児の牝馬で、非行少女のように気性の激しかったメジロボサツ」と表現。社台SSにスタッドインしたモーリスの4代母なので、社台グループ関連の馬とも言える。■勝った馬が常に美しいのは、運の祝福を受けているからにほかならない。(「影なき馬の影」)■競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。(「加賀武見論」)■とにかく、どれだけすばらしく逃げたかだけが問題なのだ。美空ひばりの唄ではないが、「勝つと思うな、思えば負けよ」で、勝とうとしてペース配分を考える馬は、「強い馬」であって「速い馬」ではない。(「日本一の逃げ馬を推理する」)■サラブレッドは、もし文学にたとえるならば、散文ではなく叙事詩だと言うべきである。そして「走る叙事詩」を見に行くことは、炉辺で書物の一ページを繰るよりも、はるかにすばらしい経験だと言うべきではないか。(「競馬四つの楽しみ」)【寺山が描いた社台グループ関連の馬】※カッコ内は生年、社台との関係■ガーサント(1949、吉田善哉が輸入した種牡馬)■ラプソデー(1954、社台牧場生産)■ハクフジ(1955、社台牧場生産)■テツノオー(1960、千葉社台牧場社台支場生産)■ミハルカス(1960、千葉社台牧場生産)■プリマドンナ(1961、千葉社台牧場社台支場生産)■フジマサ(1962、70、社台ファーム千葉生産)■ベストルーラー(1962、社台牧場生産)■ハイアデス(1963、社台ファーム生産)■ブルターニュ(1963、社台牧場生産)■ミストウキョウ(1963、社台ファーム生産)■ヤマニリュウ(1963、社台ファーム生産)■フイニイ(1964、社台ファーム千葉生産)■ペルルピーチ(1964、社台ファーム生産)■メリーダンサー(1964、社台牧場生産)■コウユウ(1965、社台ファーム生産)■インターヒカリ(1966、社台ファーム生産)■ダッシュリュー(1966、社台ファーム生産)■シャダイセンター(1967、社台ファーム生産、吉田【寺山が好んで描いた社台グループ以外の馬】■ミオソチス(牝、1960年生、父メイヂヒカリ、母ソーダストリーム、三沢正一生産)……「きれいな馬」「美しい牝馬」と愛した。地方に移籍したとき「草競馬へ落ちる」と表現。それに抗議してきた地方の騎手が調教師になったとき、初めての所有馬ユリシーズを預けた。■カブトシロー(牡、1962年生、父オーロイ、母パレーカブト、佐々木倬生産)……「山岡事件」と呼ばれる八百長レースで勝った馬。天皇賞、有馬記念を制した名馬だが、脇役時代が長かった。寺山は同馬を「影」「愛されなかった馬」と書いている。【寺山修司の競馬名言】■ハイセイコーの敗北は、ただ一頭の馬の敗北ではなかった。(「英雄の存在しない時代」)

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