たですね。父の代表産駒になってほしいという願いがかないました。堀厩舎で担当する高橋くん(智大助手=父も担当)とも連絡を取って、二人で喜びを分かち合いましたよ」と小出厩舎長。トライアルの勝利で優先出走権をつかみ、在厩のまま駒を進めたクラシック本番・皐月賞でも2着に入った。皐月賞からダービーまでは、中5週。そこまで間隔はないが、2月の共同通信杯から3戦続けて使い、激戦の疲れをケアするためにも、短期間のメンテナンス期間を設けることが決まった。 「今まで堀厩舎では皐月賞からダービーは在厩で向かうパターンが多かったのですが、それでも一度出した方がいいと判断するくらい疲れがあったのだと思います」と、小出厩舎長は推察する。 〝2週間〟の放牧期間は決まったものの、帰厩予定日はゴールデンウィークまっただ中。堀厩舎が普段の調整に使っている滋賀県・NFしがらきでは帰厩時に交通渋滞に巻き込まれる恐れがあることから、美浦から輸送時間の短い、福島県・ノーザンファーム天栄(以下NF天栄)で調整することが決まった。 4月21日からの2週間。その限られた期間の調整は、NFしがらきのスタッフがNF天栄に移動して調整することになった。過去に前例のないプランであり、指名を受けた川北も、タスティエーラが放牧に出される3日前に、急遽の出張を通達されたという。馬とほぼ同時刻に、NF天栄に到着。現地に着いた川北は「天栄に行くのは路のイメージしかなかったので〝随分変わったな〟という印象を受けましたね」と話した。 「皐月賞であれだけ頑張って走ったので、だいぶ疲労があると聞いていました。そこで、鍛えるというより、体の回復を重点的に行おうと考えたのです。すると、堀調教師や(NFしがらきの)松本場長から連絡があり、同様の考えを抱いていたようでした」初めての環境で多少は戸惑う面を見せたというが、「大体の馬は物見をしますからね。NFしがらきにいた時から、おとなしい馬なので無駄な動きはしないし、激しく暴れるような馬ではありません。特に苦労するところはなかったです」と、問題なく立ち上げられたという。乗り出し当初のメニューは、周回コースで軽めにダクを踏んでから、ゆっくりとしたキャンターを2周。懸念された皐月賞のダメージに関しても「多少は感じましたが、このメニューを続けていけば回復する雰囲気はありました」と、手応えをつかんでいた。ていくと、トレセンで落ちていたカイ食いも戻り、馬体はみるみると回復した。「馬房でものんびりしてくれていたし、乗り出して4日目くらいに、馬約10年ぶりでした。改修前の厩舎や坂調教メニューは、川北に一任された。早速、乗り出して状態を確認した。疲れをケアしながら乗り運動を続け体重がボン!と増えたのです。乾草も残さず食べてくれたので、天栄の厩舎長は馬体重が増え過ぎないか心配するくらいでした。これはいい傾向だなと感じましたね」と川北は言い、周回コースを3周するメニューに増やした。角馬場にも1度だけ入れたが、使用する馬の頭数も多く、不用意な事故を避ける意味でも、周回での基本的な運動に専念することにした。前回の調整時と違い、皐月賞前からハミを強くかむ面が出ていると感じていた川北は、そのイメージとすりあわせ、運動にひと工夫を入れる。 「NFしがらきにいた時はハミ受けも良くなかったし、まだ本調子じゃなかったのでしょうね。調子が上がるにつれて、ハミを取るようになっていったのだと思います。実際にまたがっても、以前よりハミを強くかもうとするところがありました」。そこで周回でキャンターをする際、わざと他馬に追い抜いてもらうようにしたのだ。「それこそ、ダービーを意識して取り入れたことです。どんどん後ろから追い抜いてもらい、それでもムキにならず走れるように。これは、どの馬でも行うようにしている調教なのですが、それがタスティエーラにはうまくいきましたね」と、距離が延びても折り合いがつくように、メンタル面の成長も求めた。そして、劇的な変化が訪れる。 「若い頃に後肢を傷めた影響なのか、以前乗った時に感じた硬さを、今回も感じていました。ずっと後躯を使うことを、馬自らが躊躇するような面を見せていたのです。そこで後肢の可動範囲を広げることをテーマに、運動に柔軟性を高める動きを取り入れました。すると入厩する4日くらい前に、急に前躯と後躯がつながったのです。後躯から前躯、そしてハミへと真っすぐにつながっていきました。見ていたNF天栄の厩舎長も、『馬が変わりましたね』と気付いたようです」それは肉体面の変化だったのか、精神的な成長だったのかは分からない。劇的な変化11当歳時のタスティエーラ
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