ECLIPSE_202305_12-18
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人に、改めてエフフォーリアとの日々や思い出を伺った。水出調教助手「乗りながら成長してくれているのを感じたし、いつも無事に持っていくことだけを考えました。今まで自分が乗ってきた馬の中では、間違いなくトップレベル。順位をつけるのは難しいけど、乗り味の他にも操縦性などを含めると、総合的にレベルが高かったと思います。エフフォーリアの良さを受け継いだ子が出てくれたら、いいですね」成田調教助手「いつも一生懸命に頑張ってくれる子でした。人間に例えれば、アスリートですよね。余計なことはしなかったし、いろんなことを理解していた子。まるで、自分の立場を分かっているような賢さがありました。そのうち、喋るんじゃないかとも思ったぐらい(笑)。一緒に仕事をするのが楽しみだったし、厩舎にいた時は毎日が充実していました。放牧に出す時も、馬運車に同乗して天栄まで付き添いましたし、そういうのも普通は経験できないこと。牧場の方々ともコンタクトを取り、みんなで一丸になっていました。ある意味、僕の中ではパーフェクトな馬だと思っているので…。勿論、子供を自分の手で扱う日が来るのを、楽しみにしています」楽しかったです。特に人懐っこかったし、かわいかった。腹痛とか蹄を傷めたり、いろんなトラブルもありましたし…。在厩中は厩舎に寝泊まりしたことも、いい思い出。エフフォーリアという馬名のとおり、僕自身も強い幸福感を味わいましたね。後にも先にもないような経験をさせてもらったし、みんなを幸せにしてくれました。無事に種牡馬として送り出せたことも含め、いい仕事ができたんじゃないかと…。この馬で勉強したことは、間違いなく今後に活かせると思っています」パートナー。これから先、エフのような素晴らしい馬に出会う可能性もあると思います。でも、あの馬と一緒に競馬をすることは、もうありませんからね。無事でホッとした気持ちと寂しさが半々。ぽっかりってほどではないけど、心に穴が開きました。それだけの大き鹿戸調教師「すごく充実していたし、武史騎手「僕にとっては、唯一無二のな存在だったので…。時間ができたら会いに行きたいし、少なくとも夏の北海道開催中には社台スタリオンステーションに行こうと思います。そう言えば、引退が決まったときに知ったんですけど、僕の誕生日(12月22日)の花が、百日草らしくて…。実際に百日草特別を勝ちましたし、その花言葉が幸福で馬名は『強い幸福感』。エフには数多くの幸せな経験をさせてもらいましたし、何か縁があったのを感じます。この馬に乗せてもらうきっかけを作ってくださった鹿戸先生、騎乗依頼をしていただいたキャロットクラブさん、そして、会員の皆さまにも感謝しています」話を聞けば聞くほど、文字にすればするほど、それぞれの愛情と感謝の思いが伝わる。エフフォーリアは無事に、種牡馬生活をスタートさせた。鹿戸調教師は「1回、会いに行きました。立派に仕事をこなしていましたよ。1番は、健康に長生きをしてほしい。どんな子が生まれるのか楽しみしかないし、ご縁があれば鹿戸厩舎に来てほしいですね。夢の続きを、子供に託したいと思います」と目を細める。この春には妹のペリファーニアが桜花賞で見せ場十分の3着に食い込み、今後への期待感が広がる走りを見せた。これから先も、ケイティーズハート一族の夢は続いていく。 『ありがとう、エフフォーリア』──。順調なら産駒のデビューは、3年後だ。その時を、皆が待っている。1521年12月 有馬記念出走前(エフフォーリアと併せ馬は弟ヴァンガーズハート)Writer profile 和田 稔夫 Toshio Wada1974年生まれ。競馬専門誌『週刊Gallop』記者(美浦担当)。大学4年時、トラックマンを夢見て競馬エイト編集部にアルバイトで潜り込む。その後、サンケイスポーツレース部を経て週刊Gallop編集部に配属。サンスポ時代から長らく『藤沢和雄厩舎番』を務め、誌面では本誌予想を担当している。22年3月 大阪杯出走前(成田雄貴調教助手)     ◇

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