と思わせてくれました。怪我をしていた成田さんに代わり、自分がパドックで引っ張ったことも思い出のひとつ。前運動なども含め、久しぶりに歩き過ぎて、足の裏にマメができました(笑)」成田調教助手「僕も(印象に残っているのは)共同通信杯ですね。前日の調教中に別の馬で転倒してしまったので、当日はテレビで見ていました。正直、仕上げも余裕残しでしたし、あの感じで上位に来られたら、先が楽しみになると思っていたんです。そしたら、一気に夢が広がるような競馬をしてくれて…。テレビの前で〝すげえ、すげえ〟としか言葉が出てきませんでしたね。共同通信杯を勝ったあとは、次に大きなレースを一緒に勝つことだけを考えていきました」があった中で、3連勝。持っているポテンシャルが、相当に高かったんだと思います。競馬を使うごとに変わってきたのが印象に残っているし、どんどん力をつけていってくれました」人馬ともに堂々たるレースぶりでG1初制覇を飾り、これが横山武史騎手にとっても嬉しいG1初勝利となった。G1勝ちでしたしね。あの皐月賞は、僕の騎手人生に大きな影響を与えてくれました。その事実は今後、何十年先になっても揺るぎません」支持された。結果はシャフリヤールの末脚に屈してハナ差の2着。惜しくも世代の頂点を逃した。当然、このダービーが最も悔しいレースであることは、陣営の誰もが同じ思いだ。やっての結果。簡単には勝たせてくれないし、まだまだ僕にとっても、武史にとっても、早かったんじゃないか…。そんなふうにも思っています」とがありますからね。それこそ、この取材の前日にも寝る前に思い出したんですよ。苦い記憶が蘇りました。やっぱり、悔しかったです(苦笑)。一生、あの悔しさは消えません」まで僕が乗り、1週前と当該週に武史を乗せるパターンができていました。鹿戸調教師「いろいろと弱いところそして3戦無敗で迎えた、皐月賞。武史騎手「最高でした。初めての続く日本ダービーでは、1番人気に鹿戸調教師「やれるだけのことを武史騎手「ふと、今でも思い出すこ水出調教助手「調教は競馬の2週前ダービーの直前は併せ馬で隣の馬に乗っていたんですけど、武史が『抑え切れない』と言っていたぐらい。すごくいい状態で持っていけたと思います」ひと夏を越し、秋の天皇賞ではコントレイルやグランアレグリアをはじめとした、古馬の強力なライバルたちを一蹴。文句なしの強さでG1・2勝目を飾った。鹿戸調教師「1番、嬉しかったのは天皇賞・秋。すごく強い馬たちを負かしたし、師匠の藤沢和雄元調教師(グランアレグリア)とG1馬同士で対決して勝てたことが、自分にとっては印象に残っています」成田調教助手「府中でのパフォーマンスが良かったし、僕たちも左回りのほうがいいことは分かっていました。もう1回、どこかで府中を走らせてみたかったですね」レース後、天栄への輸送中に蹄を傷めるアクシデントもあったが、懸命なケアで快方に向かった。装蹄も工夫し、年末の有馬記念では見事にG1・3勝目をマーク。しっかりと、ファン投票 ◇ 1位&1番人気の支持に応えた。これが最後の勝利になろうとは、思いもしなかったが…。成田調教助手は「しみじみと競走馬の難しさを痛感しました。もう1回、一緒に勝つことを目標にやってきていたので、突然の引退は無念の思いが強かったですね。1週間ぐらいは引きずりました」と、胸中を打ち明ける。引退から1カ月が過ぎた頃。一人一May 2023 vol.25614師匠の藤沢和雄元調教師・グランアレグリアら強豪馬を一蹴できて、嬉しかったと鹿戸師21年5月 日本ダービー出走前(横山武史騎手&成田雄貴調教助手)21年10月 天皇賞(秋)出走前(横山武史騎手)ありがとう、エフフォーリア─『強い幸福感…Efforia』という名の馬がもたらしたもの─
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