いながら適切に対処した。 「息も上がっていたし、さすがに元気がなくて…。目に見えない部分の負担は、計り知れないものだったと思います」そこに、担当の成田雄貴調教助手が急いで駆け寄った。「僕はゲートに付き添っていたので、移動中のマイクロバスでモニターを見ていました。止まり方が尋常ではなかったし、脚元のほうも心配になりましたね。そばに行った時、武史くんからは心房細動だろうと…。最悪の事態にならず、そう聞いたときは少しホッとしました」と心境を明かす。一方、鹿戸雄一調教師は「思いがけない出来事でした」と振り返る。「確実に調子が上がっていたし、いいときのエフフォーリアに戻りつつあると感じていました。いい方向に持っていこうと厩舎の中でも話し合っていたし、早めに輸送して栗東に入れたり…。当日のパドックでも、雰囲気が良さそうに見えたんですけどね。獣医師さんに心臓(心拍)が乱れていると伝えられ、すぐに診療所に連れて行きました」。正式に心房細動の診断が下り、症状が落ち着くのを待ってから、美浦トレーニングセンターに移動。翌日にも検査を受け、時間の経過とともに正常の数値に戻ってきていたという。「その日のうちに、クラブやノーザンファームの方々と、今後のことを話し合いました。これからも彼には大事な仕事がある。種牡馬にするにしても、検査や手続きの期限が迫っていたので、引退させましょうとの結論に至りました。まずは無事に送り出すことが、一番。寂しいというより、それ以上にホッとしました」と、安堵の表情を浮かべる。厩。馬運車の出発を見送った武史騎手は、報道陣の前で口を開き、溢れる涙を堪え切れなかった。 「本当に感謝し切れない。たくさんのことを学ばせてもらいました。もっとしてあげられたことがあったんじゃないかと思いますし、いろいろと経験させてくれたことを糧に、僕自身も成長していきたい。最後にエフフォーリアの強さを見せられなかったことは残念なんですけど、まだまだ第二の馬生京都記念の4日後には、美浦から退がありますし、無事に種牡馬になることも大事なので…。僕はムチで叩くことしかできなかったから…。これからは叩かれることもないし、幸せになってほしい。それに尽きます」鹿戸調教師も「ありがとうと言いたい」と感謝の気持ちを伝え、「うちの厩舎にとっても宝物ですし、僕にとってはヒーローでした。できればエフフォーリアの子で大きなレースに挑戦したいし、ハナ差で勝てなかったダービーを勝ちたいですね」と語った。のちに〝宝物〟となるエピファネイア産駒が、鹿戸雄一厩舎に初入厩したのは2020年5月23日。鹿戸調教師は「1歳の春に初めて見た時から立派な馬体をしていたし、この世代の中では楽しみな1頭でした。ただ、大きくて全体的に緩かったし、すぐに(ストレス性の)腹痛を起こすようなところもあって…。まだ体質も弱かったし、そのあたりがどうかと思っていました」と述懐する。ゲート試験に合格後はノーザンファーム天栄で調整され、7月16日に函館競馬場へと移動した。そこから札幌競馬場に入り、デビュー前の追い切りでコンタクトを取った横山武史騎手が「乗り味とバネの良さ」を絶賛。8月23日のデビュー戦は、単勝1番人気の支持に応え、きっちりと好発進を決めた。水出大介調教助手(攻め専)「函館に来た時も腹痛になっていたけど、基本的には手が掛かりませんでした。調教でも引っ掛かることがなく、すごく乗りやすかったですね」成田雄貴調教助手(持ち乗り)「腹痛は次の2戦目を使う時ぐらいまで、何回かありました。本当に賢い子でしたし、自分が置かれた状況を理解していたというか…。だからこそ、若い頃はナイーブな感じで、腹痛気味になることが多かったんだと思います」そんな中でも秋の百日草特別で連勝を決め、年が明けると共同通信杯で重賞初制覇。3戦3勝で、クラシック戦線に名乗りを上げた。水出調教助手「僕が印象に残っているレースは、共同通信杯。あそこを勝ったことで、G1も狙えるんじゃないか1321年3月 皐月賞出走前(水出大介調教助手)21年2月 両助手が印象に残っているという共同通信杯。この勝利でG1を意識したそう ◇
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