ECLIPSE_202303_9-16
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ll一九四八年鹿児島県生まれ。早稲田大学文学部中退。演劇活動ののち、文筆生活に入る。『優駿』『Ga哉氏の生涯を丁寧に描いた『吉田善哉 るか』『馬の王、騎手の詩』『駿馬、走りやまず』『調教師物語』『騎手物語』『名馬牧場物語』『神に逆らった馬 つくった男』『君は野平祐二を見たか?』など、多数。op(連載 木村幸治のホースマン列伝)』などに寄稿。著書に吉田善倖せなる巨人』のほか、『馬は誰のために走七冠馬ルドルフ誕生の秘密』『凱旋 シンボリルドルフを木村幸治『裏庭で』僕が一番幸せだったのは焼いている時だった。犬たちは傍らで寝そべり次々に舞い落ちる枯葉で大地はおおわれていた。僕と父さん─。父さんは牧場を見渡し「私が死んだ後は私は我が一生をおまえたちのためそして我が努力は報われた。だから息子よ。おまえがこの大地を受け継いだならおまえの全てを懸けてやり抜いてくれ。さもなくば私がひたすら働き続けてきたものは虚しく失われてしまうだろう」  「父さん!僕はそんなにうまくやれないかもしれないよ。  でももし父さんが死んでしまうようなことがあればひとつだけ誓ってもいい。  僕は必ず全力をふり絞ってやってみる」  この散文詩にあらわされたアーサー・ハンコック父子と違って、吉田善哉は優しい思いを、ストレートに三人の息子や妻の和子に伝えるような男ではなかった。明治維新の世に、中央政府が新しい日本をつくろうとしていた江戸方面にではなく、屯田兵となって蝦夷地を拓くため一家を従え、未開の地へと渡った南部藩士吉田善治の血を引く、武骨でシャイな男だった。裏庭で父さんと一緒にステーキを陽は暮れてゆく。たった二人きり火の側で飲物を手に─。そして僕に言った。我が息子よこの大地はおまえのものだ。わき目もふらずに働き続けてきた。母さんのため古い友人のために─。アーサー・ハンコック三世                  しかし吉田善治から四代目にあたる善哉の胸の中にあったと思われる心と、その父親に対して吉田家五代目にあたる三人の息子が抱いている心。それらが向かいあっていたときの微妙な心模様が、右のハンコック三世の創作詩に、象徴的かつ暗喩的に表現されているとの思いから、この『裏庭で』が選ばれたのは明らかだった。一夜が明け、葬儀は八月十六日であった。吉田善哉の亡き骸を乗せた車は、前へと動き始めた。かみともにいましてゆく道をまもりあめの御糧もてちからをあたえませまた会う日までまた会う日まで亡き骸から、やがて旅立った善哉の霊魂は、どの方角へと向かったのだろうか。いずれ息子たちが示してくれる馬づくりの成果は、ゆっくり見物することにして、幼かった日から触れてきた幾万の馬たちの、先に旅立ってしまった場所へ、ゆったりゆるりと、善哉はこのときはじめて急くことなく、昇天していったのである。(第六回・完)March 2023 vol.25416

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