ECLIPSE_202302_13-19
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冠を達成するのを、見物するしか方法はなかった。 そして昭和六十年には、和田共弘のシリウスシンボリが前年のルドルフ勝利に引きつづいてダービーに連覇する景色を眺めるしかなかった。やがて昭和六十一年である。第五十三回日本ダービーの開催が近づいて来る。しかしその前に、四月十三日の第四十六回皐月賞である。その日、首都圏の空はよく晴れていた。中山競馬場のレースコースの外側に植えられた桜は、すっかり新緑の葉桜になっていた。㈲社台レースホースのダイナガリバーが、二番人気になった。社台ファームからもう一頭、ノーザンテースト産駒とは違うハンターコム産駒のダイナコスモスがエントリーして、五番人気だった。ダイナガリバーの鞍上は増沢末夫だった。皐月賞の結果はアッという間に出た。一番人気のダイシンフブキが七着に敗れ、四番人気のフレッシュボイスがクビ差の二着、ダイナガリバーは十着の大敗だった。勝ったのは、岡部幸雄のダイナコスモスである。マスコミ報道では、社台ファーム初の四歳牡馬クラシック優勝とたたえたが、吉田善哉は会員向け小冊子『サラブレッド』のなかで、あまり嬉しそうではないコメントを載せている。 《昭和三十年、私は本家の社台牧場から独立し、社台ファームを設立したが、本家時代も(病弱の兄・善一を代行補佐して)三十一年の皐月賞馬ヘキラク、三十二年の菊花賞馬のラプソデーを生産している。したがって正確にいえば、生産者として優勝の感激経験がないのはダービーだけである》それは吉田善哉のプライドを前面に打ちだした自己主張である。しかし皐月賞優勝のダイナコスモスをたたえ、次のようにコメントを結んでいる。 《ダービーでの活躍も、ダイナガリバーとともに大いに期待できるだろう。ダービー制覇という初めての経験を前にいま、私は確かな手応えを感じとっている》さて、五月二十五日の第五十三回日本ダービーである。 「雨が降る」との前日来の予想をくつがえして、好天に恵まれた。しかし快晴というにはほど遠く、薄い乳白色のヴェールが空全体を被っていて、その彼方に宇宙までつづく青空が広がっている具合だった。出走する馬は二十三頭で、一番人気はラグビーボール(河内洋騎乗)で、二番人気に岡部幸雄のダイナコスモス、三番人気が増沢末夫のダイナガリバーである。社台ファームからはもう一頭が出走して、蛯沢誠治が乗るバーニングダイナが二十一番人気である。「今年は勝ちたい」吉田善哉がレース前にそうもらし「三番人気ぐらいが、ちょうどいい」とも語ったらしい。観客数は十二万三千人。トランペットによるファンファーレが鳴らされた。馬たちが騎手とともにゲートに入る。トップを奪ったのは、逃げ馬のバーニングダイナだった。調教師歴三十二年の松山吉三郎の話。「ノーザンテーストの仔はひっかかって前へ行ってしまうと良くないタイプが多いので、心配はしていたんです。でも一コーナーを回ったところで、折り合いはついた。ホッとしました。作戦面はすべて騎手に任せていた」皐月賞馬ダイナコスモスは、岡部幸雄に身を任せて十二番手あたり。やや外目の位置取りである。ラグビーボールもほぼ同じ位置にいる。前半一〇〇〇メートル通過が六十二秒五という、過去十年のダービーでもいちばん遅いペース。ダイナガリバーは好位置のインをもまれずに進んだ。(皐月賞のときとは違う。行きっぷりもいい)増沢末夫の感触である。(これなら、いけるんじゃないか)最初からずっと内埒に沿って、いちばん経済効率のよい走路を走っていたのが、田原成貴の乗ったグランパズドリーム(十四番人気)だった。馬主の岡田繁幸は、「ダービーが獲りたい」と言い遺して死んだ父・蔚男の夢を、是非ともかなえたかった。生前の孫をかわいがっていた姿から、馬17                     ダービー崇拝善哉さんの旅第五回

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