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なったと感じたのは、入社から10年ぐらい経ってからですかね。その頃には『自分が任された馬を、いい状態で厩舎(トレセン)へ送り届けることができる』という自信もついていましたし、そう思えるようになってから、厩舎長の仕事をしてみたいと考えるようになりました」厩舎長となったのは30歳の頃だが、実はその前から、厚真町にある当時のえりも農場(現在のエスティファーム)へ他のスタッフと共に通い、厩舎長見習いとして育成馬の調教を行ってきた。 「その頃に管理していたのが、ノーザンファーム生産馬では一期生となる、キャロットクラブの所属馬でした。当時は20頭ほどいたと思いますが、クラブの見学ツアーもこの場所で行い、会員の皆さんが小さなバスに乗って来てくれたことを覚えてます」ベガをはじめとして牡馬、牝馬問わず、錚々たる活躍馬に騎乗してきたが、厩舎長となってからは一貫して、牝馬の管理を任されている。 「正直最初のうちは、牝馬を担当している自分には、ダービーや有馬記念といったいわゆる大レースは縁がないものだと思っていました。ただ、エアグルーヴやウオッカ、ダイワスカーレットなどが牡馬混合のG1でも活躍を見せはじめていく頃に、自分の厩舎から送り出したのがブエナビスタでした」       で、こうした馬たちに関わらせてもらジャパンCを勝利。6年前に牝馬厩舎を統括する育成主任となってからは、毎年のようにG1馬を送り出していっただけでなく、アーモンドアイ、リスグラシューといった年度代表馬クラスの名馬も輩出していく。 「牝馬が隆盛を迎えていく流れの中えたのは大きいと思います。ノーザンファーム全体でも、牝馬の管理技術が向上していったと思います。また、以前は牡馬と比較して体質面の弱さがあると言われてきたのに、今では輸送もなんのそのといった感じで、海外遠征した牝馬たちが勝ち負けのレースをす育成スタッフとしては、アドマイヤそのブエナビスタは天皇賞・秋とるような時代ともなってきました」その言葉を裏付けるように、調教主任となってからの日下調教主任の管理馬はドバイ、香港、イギリス、サウジアラビア、オーストラリア、アメリカと世界6カ国で勝利を収めている。そんな日下調教主任が思い出の馬として挙げてくれたのが、キャロットクラブ所属馬のハープスターだ。3歳で初めての海外遠征となる凱旋門賞に出走。勝利こそあげられなかったものの、当時の日本競馬を代表する1頭として世界の強豪に挑んでくれた。 「ベガの孫というだけでも、縁を感じていました。凱旋門賞の前哨戦で札幌記念を使ったのですが当時、蹄の問題もあって調教を思うように進められず苦労した臨戦過程であったので、勝った時にはただただ感動したのを覚えています。凱旋門賞に連れて行ってもらえたことも含めて、最も思い出深い馬かもしれません」今後の目標は〝ハープスターのリベンジかつ、世界7カ国目のG1勝利ともなる凱旋門賞制覇〟となるのかと思いきや、「どの管理馬にも1勝をさせることです」との堅実な答えが返ってきた。 「牝馬は、引退後に繁殖にあがるという未来があります。その未来での価値を高めるためにも、できるだけ良い競走成績をつけてあげたい。そのための仕事をしていくのが、牝馬に携わるホースマンとしての自身の務めだと思っています」改めて現在のノーザンファーム生産馬の血統を眺めると、日下調教主任が牝馬を担当してからの活躍馬が年々増えてきている。 「そういう状況を目の当たりにした時に、改めて牝馬に携わってきて良かったと思います。今回、色々と話をしてきた中で、意外なほどにキャロットクラブとは縁があったと気付かされました。ベガからハープスターを送り出したように、次はハープスターの娘や孫からも、会員の皆さんと喜びを分かち合えるような馬を送り出したいです」と、日下調教主任は力強く話してくれた。21NF早来で育成されていた頃のハープスターに騎乗する日下調教主任日下 和博 Kazuhiro Kusaka1971年生まれ。北海道せたな町出身。父の転勤で道東・別海町へと引っ越した後、地元の高校の農業機械科へ進学。卒業後に旧社台ファーム(現ノーザンファーム早来)へ入社。30歳の頃に牝馬厩舎の厩舎長となると、以後、牝馬一筋に管理を行っていく。厩舎長時代にはブエナビスタ、2016年に調教主任となってからもアーモンドアイ、リスグラシューと3頭の年度代表馬を送り出す。現在は早来エリアにある5つの全牝馬厩舎を管理しており、2023年からは新設される1厩舎も含め、6厩舎で約200頭の管理を一任される。

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