ECLIPSE_202301_18-21
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今回はノーザンファーム(早来)で厩舎長の方々を束ね、馬づくりを担う3名の調教主任へお話を伺いました。生家は当時、浦河町内にあった社台スタリオンステーション荻伏。ゆくゆくは場長だった父の後を継ごうと考えていた、ノーザンファーム早来の林宏樹牡馬調教主任は、高校卒業後に旧社台ファームへと入社する。 「子供の頃から、社台ファームの創業者である吉田善哉さんとは面識がありました。何かとお世話になってきましたし、その頃から、この人の元で働こうという思いが生まれていたのかもしれません」実家では手伝いがてら、馬に関する仕事は一通りこなしてきていたものの、騎乗したことはなかった。社台ファーム早来(現在のノーザンファーム)で仕事を始めてから数カ月後に、育成厩舎へと配属される。 「そこで一から馬乗りを始めました。そういえば、最初に跨った馬はミスターシービーの母であるシービークインでした。今思い返してみても、とんでもない馬に乗せてもらってたなと思います」そのうちに育成の仕事に興味を抱くようになり、更に騎乗技術を上げていきたいとの向上心が生まれていく。実家のスタリオンを継ぐという当初の目標は、自身が育成を手掛けた馬からG1馬を送り出したいという目標へと変わっていき、その熱心な仕事ぶりも評価される形で、厩舎のサブチーフを任されるようになっていった。 「その頃には、自分の厩舎をやってみたいと思うようになりました。実際に厩舎長となったのは27歳の頃だったのですが、自分より年上のスタッフに調教の指示を出すだけでなく、餌をはじめ厩舎全体の管理も行いながら、みんなと同じように馬にも跨るといった感じで、本当に大変でした」しかも、当時の林厩舎は牡馬と牝馬を同時に管理しており、同じ一棟の厩舎の中で牡馬と牝馬の馬房が混在していた時期もあった(育成時は、性別ごとに厩舎割を行うケースが主流)。 「調教から何から、仕事を全く分ける必要がありました。今振り返っても、よくやっていたなと思います(笑)。ただ、この頃は牡馬と牝馬の両方でクラシックを目指すこともできたので、そういう意味ではやりがいもありましたね」その真摯な仕事ぶりから、数多の個    林    管理も任されていく。人オーナーからも高い信頼を集めるようになり、金子真人氏のトゥザヴィクトリー、ブラックタイド、島川隆哉氏のトーセンジョーダンなど、有力馬の 「多くのオーナーの方々と接点を持たせていただきましたが、やはり思い出深いのは、近藤(利一)会長ですね。宏樹調教主任January 2023 vol.25218Text: 村本 浩平─an expansion of TRAINING STABLE Review─NF早来 林 宏樹・横手 裕二・日下 和博 調教主任

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