ECLIPSE_202212_8-11
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の状況に戻りつつあるようにも見えますけども、例えば競馬場の場内の空いてしまった店舗スペースを目の当たりにすると、コロナ禍の影響はまだまだ続くのだなと思わされます。固い話が長くなりました。話題をJBCに戻しましょう。そんなこんなで、最初の盛岡JBCから20年、2回目から8年ぶりの開催となったわけですが、競馬場関係者の側からもちょっと振り返っていただこうかと思い、板垣吉則調教師にお話をうかがってみました。板垣吉則調教師は、騎手として上山競馬でデビュー。2002年の盛岡JBCには、上山競馬の騎手としてJBCスプリントに遠征・出走した経験があります。その後、同競馬場の廃止に伴って岩手競馬に移籍。2010年に騎手引退・調教師に転身し、2014年と今回のJBCには調教師として管理馬を送り出しています。「騎手」「調教師」のそれぞれから見た〝JBC〟とは? 「2002年のJBC、覚えていますよ。ファンの数が凄く多くて、周りの馬も騎手も凄い人馬がずらっといて、〝大きなレースというのは、こんなにも華やかなものなんだな〟と思った記憶があります。今年のJBCも、たくさんのお客様で賑わっていましたね。やっぱり多くのファンの皆さんの前で競馬ができるのは、自分たちにとってもやりがいがあります。それが大きなレースなら、なおさらですよね。すか。騎手は、そのレースに騎乗することに全力を尽くせばいい立場。調教師はそうではなくて、そのレースの時だけでなくそこまでの調整過程、臨戦過程であり、レースの後のことも考えなくてはいけない。そういう意味で、〝調教師の方がたいへん〟と言いたいですね。たJBCですが、地元の馬が活躍すればもっと盛り上がると思います。それが生え抜きの馬だったら、地元ファンはなお盛り上がってくれるんじゃないでしょうか。次回の盛岡でのJBCが騎手として、調教師としての違いで今年も遠征馬が良い成績を残していいつになるかは分からないけれど、その時は自分のところから盛り上げられる馬を送り出したいですね」昨年の金沢では、JBCクラシックを船橋所属のミューチャリーが制し、同レースでの地方馬初優勝を果たすと共に、鞍上は開催場金沢所属の吉原寛人騎手という記念すべき結果で幕を閉じました。ダート競馬の祭典だけでなく、地方競馬場のお祭りでもあるJBCのクライマックスとしては、理想的な結末だったとも感じましたね。次回の盛岡でのJBCが何年後になるか自分にも分かりませんけれど、その時にはJRA所属馬・地方所属馬がより互角に渡り合い、より盛り上がる熱戦を…と期待したいものです。一昨年、2020年の大井JBCは事前応募・抽選による、800人弱のお客様の前での開催となりました。昨年の金沢JBCでは、同様の仕組みで1300人のお客様が入場しました。今年の盛岡JBCは入場券の前売り発売という仕組みを採ったものの抽選はせず、当日の盛岡競馬場ではのべ約1万700人の入場者があったとのこと。前回の2014年の盛岡競馬場入場者数は1万331人と発表されていましたから、その前回よりもわずかに多いお客様が来場されたことになりますね。〝ポストコロナ禍〟最初のJBCともなった今年の盛岡JBC開催、ここからより通常の、より日常の競馬開催が拡がっていくことを期待して止みません。また、今回の盛岡JBCにはクラブ会員の方をはじめ、多くの競馬ファンの皆さんが来場されていたと聞き及んでいます。盛岡駅前にある有名料理店は当日の夜、関係者で大賑わいだったとも聞きました。繰り返しになりますが、いつか行われるであろう次回の盛岡でのJBCの際には、よりたくさんのファンの皆さんに、よりたくさんの会員の皆さんにご来場いただいて、盛岡競馬だけでなく盛岡の、岩手の、さまざまな食やアクティビティを、あわせて楽しんでいただければと思います。またぜひ盛岡競馬場においでください。お待ちしています。11Writer profile 横川 典視 Norichika Yokogawa1969年高知県生まれ。2001年岩手競馬情報誌『テシオ』編集記者、同誌終刊後もライター兼カメラマンとして関わり続ける。岩手競馬を中心に各地方競馬場でのレース撮影を行うほか、オーストラリアを中心に海外競馬の取材にも向かう。板垣吉則調教師とクラブ所属馬ミッテルライン          

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