ECLIPSE_202212_8-11
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景に触れさせていただきたいと思います。は初めてのJBC開催。当時の自分は競馬記者としては駆け出しで経験も浅かったですが、当時の惹句「アメリカ・ブリーダーズカップに範をとり、1日にG1を2レース」というそれまでにない形のシステムに、どんなレースが行われるのか?無事に見ることができるのか?と興奮しつつ、当日を待ったことを覚えています。2002年当時は盛岡競馬場で南部杯・ダービーグランプリの2つのG1、マーキュリーカップ・クラスターカップの2つのG3、あわせて4つのグレードレースが行われており、それに加えてJBCクラシック・スプリントですから、その年は6つのグレードレースがひとつの地方競馬場で開催されたわけです。1996年に移転オープンしたOROパーク盛岡競馬場は1200mから2000mまで、どの距離でもグレードレースにふさわしい条件を提供できるというお披露目的な意味もあり、2002年だった…と言っても過言ではないでしょう。既に経営難に苦しむ地方競馬場が増えてきており、廃止に至った競馬場も出てきていました。岩手競馬もその流れと無縁ではいられず、最初のJBCの後は存廃問題が浮上。2007年には廃止寸前の窮地に立たされました。岩手競馬としては、水沢競馬場や沿岸部の場外発売所に大きな被害を受けたというだけでなく、そもそも主催者である岩手県が激甚な被害を受けたことで、実はこの時もほとんど廃止決定というところまで至っていたのが真相だった…と、のちに聞きました。主催者の方々の支援のおかげでなんとか踏みとどまり、その2011年こそ当初予定から2ヵ月遅れとなったもの場では修復工事が一応成った12月に開催が行われ、翌年からは通常の開催に戻ることもできました。岩手競馬の絶頂期の記憶となったしかし同時に、2002年当時でもそして、2011年の東日本大震災。それでも、JRAや全国の地方競馬の5月から盛岡競馬を開幕、水沢競馬ですので、2014年に2回目のJBCが盛岡で行われた時は、12年前とは違う嬉しさがありましたね。存廃問題、大震災と立て続けに起きた大事件。存廃問題の後はこれ以上、下がりようがないだろうというほどに、賞金額が下がりました。震災の後は、競馬に関わる自分などでも〝今、競馬をやるべきなのだろうか?復興が最優先なのではないか?〟と思い悩む時もありました。盛岡で、岩手で、もう二度とJBCのような大イベントはできないかもしれない…と思っていた頃の2014年、開催することが叶った盛岡JBC。〝復興JBC〟の意味も与えられたその年、久しぶりのたくさんのお客様と場内の賑わいに、これで岩手競馬ももう大丈夫なのかな…と安心したりもしたものでした。まだ続きます。この辺は皆さんもご存じかと思うので敢えて書きますが、2018年・2019年と岩手競馬では立て続けに禁止薬物陽性馬が発生、開催取り止めも連続する事態に。この頃はインターネットによる馬券発売が定着したこと、盛岡競馬場に薄暮開催用の照明設備を設置したこともあって、売り上げも上向きムードだったのですが、もうそれどころではなくなりましたね。公正競馬に関わる重大事態の続発というショック、その再発防止策を徹底して進めていくための様々な努力と厩舎関係者の苦労。それだけでなく、「通年で赤字なら廃止」という存廃の前提条件が生きている以上、開催取り止めの影響で赤字に転落しないかどうか?も、頭の片隅から離れない。本当につらい時期でした。加えて、コロナ禍での様々な社会活動の制約・制限もありました。そんなコロナ禍での生活の中で、インターネットでの馬券発売が急進して、岩手競馬に限らずJRA、他の地方競馬主催者さんも売り上げを大幅に伸ばしていき、その部分では辛うじて不幸中の幸いと言えるのかもしれませんが、一方では無観客開催や入場者数に制限を付けた開催が長く続いたことにより、大きなダメージを受けた競馬に関わる業種もありました。ここのところ、ようやく〝コロナ以前〟December 2022 vol.25110JBCを迎える盛岡市内にはレースラッピングが施されたバスが登場当日はしばしば雨に見舞われたものの、たくさんのファンが最後までレースを見守った          20年前になる第2回JBC、盛岡でJBC2022 盛岡・門別─「12+8」初開催から20年目 3回目の盛岡JBCを振り返る─

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