ECLIPSE_202212_17-21
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ll一九四八年鹿児島県生まれ。早稲田大学文学部中退。演劇活動ののち、文筆生活に入る。『優駿』『Ga哉氏の生涯を丁寧に描いた『吉田善哉 るか』『馬の王、騎手の詩』『駿馬、走りやまず』『調教師物語』『騎手物語』『名馬牧場物語』『神に逆らった馬 つくった男』『君は野平祐二を見たか?』など、多数。op(連載 木村幸治のホースマン列伝)』などに寄稿。著書に吉田善倖せなる巨人』のほか、『馬は誰のために走七冠馬ルドルフ誕生の秘密』『凱旋 シンボリルドルフを木村幸治に励んだ。極立つGⅠ戦に絞っただけでも、昭和四十一年オークスのヒロヨシ、四十二年菊花賞と四十三年天皇賞を制したニットエイト、四十三年桜花賞のコウユウ、四十四年オークスのシャダイターキンの大活躍である。このガーサント──オークス──シャダイターキンの幸福の連鎖があった昭和四十四年は、ガーサントが晴れてチャンピオンサイアーに輝いた年である。その年、東京都文京区目白台にある、日本女子大学の一年生が、千葉社台ファームを訪れている。名前を田井和美といい、一緒に乗馬服に着替えて馬を走らせたのは、慶応大学商学部三年生の吉田勝已だった。慶応の馬術部で正選手を務めていく勝已は、関東インカレや大学対抗戦で知り合った田井和美をエスコートし、“我が庭”に案内したのである。この日に二人の来場を目にしていた浅井洋子は吉田善哉の妹で、当時牧場内の住宅で暮らしていた。 「千葉は雨が上がったばかりで、走路も雨に濡れ、泥のある水たまりもいくつかあったんです。馬と一緒に走っていた二人はそれには構わず水を蹴散らして、何度も走ってました。幸せそうでした」従業員たちが仕事の手を止めて、その様子を見物していた。絵になるアングルだった。 「いやあ、逃げなきゃ、泥だらけにされるぞ」と、はしゃぎながら歓声を上げている。乗馬している二人に笑顔が溢れ、見物人たちも合わせて幸せそうな景色に見えた。 (このまんま、二人連れ添っていく)浅井は予感したという。のちに、田井和美が日本女子大国文科を卒業すると、すぐさま結ばれた二人。やがて北海道社台ファームの牧場内に住み続け、今もノーザンファームの代表、そして代表夫人として健在である。あのとき記憶力のよい、ウェットに富んだベテランの樹木たちが、二人の疾走を見守っていたとしたら。その日より二十二年前、やはり樹間の馬場を走らせたうら若いカップルがいたことを、語り合ったと思われる。勝已と田井和美も独身どうし。そして二十二年前の吉田善哉と長森和子も独身どうし。その走路でのデュエット・ライディングをきっかけに添い合い、人生へのスタートを切っていった二組のカップルである。男二人の気をはった気配りのエスコートによって千葉社台ファームに足跡を刻んだ、合わせて四人の倖せの乗馬シーンを、樹木たちも枝や葉をそよがせて喜び合ったに違いない。ちなみに、カメラ撮影を趣味にし、特技にもつ吉田和美は、手もとにいつも一眼レフを置いているようだ。雑誌『優駿』(JRA発行)が主唱したフォトコンテストがあり、『雪国のメルヘン(G品を応募したことがある。昭和五十八年に三冠馬となって話題を呼んだミスターシービーが、現役引退後に種牡馬入りしたのが社台スタリオンだった。勝已・和美夫妻が職場の責任者として、そこにいた。ある一日、吉田和美がシービーにレンズを構え、静かにシャッターを切った渾身のスナップ。のちに応募作品群の選考を任された写真界の巨匠・秋山庄太郎が、最優秀作品に推挙したのが『雪国のメルヘン(G秋山はその撮影者が、吉田勝已の夫人だとは知らないまま、最後の一枚を手にとったのであったood night Mr. CB)ood night Mr. CB』』と題する作の一点だ。(第三回・了)牧まき場ばのメルヘン21                第三回善哉さんの旅

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