1921(大正10)年 1928(昭和3)年 1929(昭和4)年 1932(昭和7)年 1936(昭和11)年 1939(昭和14)年 1940(昭和15)年 1945(昭和20)年 1月19日 1946(昭和21)年 1947(昭和22)年 1948(昭和23)年 1951(昭和26)年 1955(昭和30)年 1956(昭和31)年 1958(昭和33)年 1962(昭和37)年 1963(昭和38)年 1965(昭和40)年 1967(昭和42)年 1968(昭和43)年 1969(昭和44)年 1970(昭和45)年 1971(昭和46)年 1972(昭和47)年 1973(昭和48)年 1974(昭和49)年 5月3日 父善助、白老町に移り、社台牧場を創設。乳牛、サラブレッドの生産を始める。 父善助、種牡馬ポリグノータスと、繁殖牝馬16頭をアメリカより輸入。本格的に競走馬事業を始める。このころより、善哉は馬の世話に明け暮れる。 第1回日本ダービーが行われる。社台牧場からは牝馬ヨシキタが出走(16着)。 種牡馬として英ダービー3着(優勝馬ハイペリオン)ステーツマンを輸入。父善助、千葉県印旛郡に千葉社台牧場開設。 空知農業高校を卒業。同時に獣医免許を取得し、千葉社台牧場の場長に就任。当時の日本競馬会副理事長、長森貞夫氏の長女和子と結婚。長男、照哉誕生。二男、勝已誕生。三男、晴哉誕生。母テル死去。千葉社台牧場を社台ファームと改称し、独立。アメリカへ初渡航。本場ケンタッキーの牧場を見てまわる。社台ファーム白老牧場を開設。種牡馬ガーサントを輸入。初のリーディングブリーダーに輝く。種牡馬ラティフィケーション、ハッピーオーメンを輸入。社台ファーム早来牧場を開設。 コウユウが桜花賞優勝。種牡馬マリーノを輸入。ガーサント、リーディングサイアーとなる。 シャダイターキンがオークス優勝。種牡馬バウンティアスを輸入。種牡馬ヒッティングアウェーを輸入。種牡馬ハイハットを輸入。社台ファーム千歳牧場を開設。 ケンタッキー州にフォンテンブローファームを開設。種牡馬ボールドアンドエイブルを輸入。サラトガ2歳セールでノーザンテーストを購買。 キーンランド2歳セールで、ワジマを当時の史上最高価格60万ドルで購買。社台ファーム荻伏スタリオンステーションを開設。 種牡馬エルセンタウロ、ラッサール、モデルフールを輸吉田善哉、父善助、母テルの三男として札幌で出生。父善助死去。October 2022 vol.24912第1回ダービー出走馬ヨシキタ号の母デッドインディアン サラブレッド血統書.第1巻(日本競馬会・昭和16年出版)社台グループ忘年会、3人の息子と共に。左から晴哉氏、勝已氏、照哉氏善哉氏が導入したガーサント産駒のシャダイターキンが1969年のオークス優勝吉田善哉氏のヒザのうえは、当時5歳だった孫娘・キャロットクラブ代表黒田真知子吉吉田田善善哉哉氏氏のの足足跡跡
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