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ルがありました」オサリバン調教師は騎手時代、ジャパンCも勝たれています。調教師になってからは、国内外から多くの新人ジョッキーをとって育てていますね? 「競馬が終わった後、よくビデオを一緒に見ながら色々教えてくれました。元々ニュージーランドのチャンピオンジョッキーだけあって、本当に勉強になりました。僕が行った時は騎手を引退され、調教師になって何年も経っていたはずだけど、調教にはまだ乗っていたし、性格的にも紳士なので、最初に彼に教われたのは幸運でした」ニュージーランドで44勝。立派な成績を残せたのも、そのおかげが大きかった? 「そうですね。ランスからは本当に沢山のことを学びました。また、ジェームス・マクドナルド(現在はオーストラリアのチャンピオン騎手)が当時の見習いチャンピオンで、彼とよく一緒に乗れたのも勉強になりました」に香港デビュー。最初のシーズンは10勝に終わりましたが、当時の思い出は? 「デビューしたのが5月だったので、最初のシーズンは実質2カ月くらいしか乗っていないはずです。だから、勝ち数については悲観していませんでした。最初に勝った日に3勝して、その2勝目がラッキーナイン(2011年のG1・香港スプリントなど、国際重ター)でした。速い脚のある馬だったけど、当時はまだ若くて、体もそれほど大きくなかったので、後にあんなに凄い馬になるとは想像できませんでし」─い騎手チャンピオンになりました。 「勝つことによって自信を掴んだのは事実です。ただ、まだ若かったし、少し自惚れてしまいました。自分だけでなく、周囲の多くの人のサポートで勝てていることに気付くのは、もう少し年をとってからでした」助けられましたか?2009/2010年シーズン賞4勝をあげた香港の名スプリン翌シーズンは39勝をあげて、見習具体的には、どういった人たちに 「オーナーや調教師が機会をくれたからなのは当然ですが、他にも目に見える人だけではなく、陰で支えてくれた人も含め、沢山の人が助けてくれて勝てたのは間違いないでしょう」見習いの減量がなくなった後も、やっていける自信はありましたか? 「というか、早く減量がなくなってほしいとずっと思っていました。70勝した後も95勝するまでは2ポンド、その後も地元出身のジョッキーは250勝するまで減量が続くんです。僕は体重が重かったので、減量が取れるように早く250勝に到達したかったで」─2014/2015年シーズンにはバンドルオブジョイでローカルG3ナショナルデーCを優勝。自身初の重賞制覇のお気持ちは、どうでしたか? 「直線の1000m戦で、アッという間のレースだったけど、特別な気持ちになりました。ハンデ戦で、斤量にも恵まれたとはいえ、初めて感じるハッピーな気持ちでした」─18年のシーズンオフにはイギリスのマーク・ジョンストン調教師の下へ行かれました。彼は管理馬も多ければ、出走数も多いことで有名ですよね?はい。僕が行った頃も毎日、多くの競馬場で沢山の馬を走らせていました。そこで調教に騎乗したことでレースでのチャンスももらえて、イギリス初騎乗初勝利をあげることができました」15ランス・オサリバン師(手にしているのは、自身が優勝したジャパンCの記事)マーク・ジョンストン師イギリス・ヨーク郊外に広大な馬場を有すジョンストン厩舎───す─た──

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