ECLIPSE_202205_9-13
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日本調教馬初のアメリカダートG1を制覇したマルシュロレーヌ。歴史的偉業を達成した彼女のデビューから引退までの軌跡を、矢作芳人調教師の話とともに振り返ります。初めて彼女を見た矢作師は「正直言って、あまり目立つところはなかった。オルフェーヴルの牝馬だし、目の感じからして気性が悪くなければ…」と感じていたと言います。デビューは3歳の2月、京都・芝1600m戦。「動きも良かったし、いい勝負になる」と手ごたえを感じて送り出した新馬戦は2着。ただ、その頃からマルシュロレーヌの適性について迷っている部分があったといいます。「最初からダートでもいいのではないか。ただ、クラシック前の牝馬となればやはり芝で走らせたいし、走ってくれたらいい、という思いが強かった」その後は芝で3戦して5着↓9着↓5着と、なかなか結果が出ませんでした。「2戦目以降、すぐに勝てると思ったのに勝てなかったから、あれ?っと思った。このあたりでも一度ダートに使おうかという話はあったんだけど、新馬戦の2着を思えば、芝でもしっかり走れているからね」と、そのまま芝を使うことになります。初勝利は5戦目、8月の小倉・芝1800m戦。逃げ切りを決め、終わってみれば3馬身半差の圧勝でした。「ラストチャンスが迫っていたけれど、未勝利で終わる馬ではない。勝つだろうと思っていた」 1勝クラスでも芝のレースを選択し、昇級2戦目では後方からレースを進め、差し切り勝ち。続く四国新聞杯は一転、好位からの競馬で優勝を収めました。 「奥手だったので、やっと良くなってきたと感じた。デビューから少しずつ体重が増えてしっかりしてきたし、4ヵ月以上休んでいた上に休み明けをギリギリに仕上げない厩舎。それでこの勝ち方をしたのだから、牝馬重賞ぐらい、通用するのではないかと思った」しかし、そういった思いは打ち砕かれます。3走続けて、掲示板に載ることすらできませんでした。一度立て直しを図り、未勝利戦でいい勝ち方をしていた小倉へ。その博多Sは必死に追い上げましたが届かず、クビ差の2着という結果でした。「自己条件でハンデも52キロと恵まれ、勝って不思議のない競馬。勝ったと思ったけど、決め手が及ばなかった。ここでハッキリと、一度ダートに使おうと決めた」。クビ差の2着と僅差であったにも関わらず、条件を替えようと決断したのです。「2着に来たけどってみんなは言うけど、俺からしてみれば2着に敗れた、だね。勝っていなければいけないレースだった。斤量52キロのここで勝てないようでは、芝の牝馬重賞や牡馬混合のオープンでは通用しないと、はっきり思った。それに、この馬は夏に調子を上げてくる馬。日本で走った時はこ   9  マルシュロレーヌを語り、マルシュロレーヌに学ぶ─引退に寄せて矢作師が振り返る本馬との歩み─Text: 矢作 麗

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