したが、2着1回3着2回の成績で勝ち上がることができなかった。ホッカイドウ競馬に移籍したのち、栗東・吉田直弘厩舎の所属としてJRAに再転入。ダート路線で飛躍し、交流G1の帝王賞を制した。 「ハナ差で負けたレースもあったし、あれだけの馬を未勝利戦で勝たせてあげられなかったのは残念というか、反省しなければいかん。今思えばダートを使えばよかったのかもしれないけど…。結局、転厩することになってしまった。当時、いい発奮材料になりましたよ。本音を言わせてもらえば、自分で手掛けたかったけどね。そこは心残りです」した。 「お母さんは優秀な繁殖牝馬だよね。気性的に難しい仔が多かったけど、どんな種馬でも走ってくれた。ホーカーテンペストは2歳の夏に1200mから使い出したけど、距離を延ばしたら勝ってね。最後は障害でも3勝したし、よく頑張ってくれたと思います。バウンスシャッセは逞しい牝馬でした。3歳の春には皐月賞(11着)を使わせてもらったしね。オークス(3着)は進路を切り替えるロスがあったし、もったいなかった。3年連続で重賞(フラワーC、中山牝馬S、愛知杯)を勝ってくれたし、立派な成績だと思います。ムーンクエイクは京王杯SCをレコード勝ち。アドマイヤムーンの仔を初めて預かったけど、いいスピードがあり1800m、1600m、1200mの重賞(フラワーC、ターコイズS、オーシャンS)を勝ってくれた。今の時代、中距離とマイルと短距離の異なるカテゴリーで重賞を勝つのは立派です。フラットレーもレイエンダの同期で期待していたし、初戦の勝ちっぷりは良かったけどね。2歳のG1(ホープフルS13着)に行きたいと思わせたぐらいだし、もう少し精神面が安定してくれていれば違ったんじゃないかと思います」デビュー勝ち。その後は新潟2歳Sがハナ差2着、東京スポーツ杯2歳Sも母リッチダンサーの仔も数多く管理ましたね。コントラチェックはアヴニールマルシェは2歳の6月にクビ差2着と、早い時期から重賞の舞台で惜しい競馬を続けた。 「それまでに見てきたディープインパクト産駒の中では、立派な馬体をしていた。デビュー戦の勝ち方も良かったし、あの時はクラシックを意識したけどね。去年、妹(マルシュロレーヌ)がアメリカのブリーダーズカップ(ディスタフ)を勝ったのは、本当に素晴らしい。自分が(海外遠征に)行き出した頃とは事情も違うけど、すごいことだと思います」同じくディープ産駒のサンクテュエールは、2歳の夏にデビュー勝ち。3歳の年明けには、シンザン記念で重賞制覇を飾っている。 「この馬も早くから評判が良かった。お兄さん(Yoshida)がアメリカでG1を勝っていたしね。どうも気持ちの部分が安定しないけど、何とか復調の足掛かりをつかんでもらいたいと思っています」現3歳の全弟、フィアレスデザイアはゲート試験に合格するまで進めていたが、坐骨結節部の骨折で休養を余儀なくされた。「楽しみにしていたけど、調教中に尻もちをついてしまって…。申し訳なかったです。自分では手掛けられないけど、何とか無事に走ってもらいたいですね」と、デビューの日を願う。一頭一頭、自分の目で見てきた馬たちのことは記憶に残っている。 「キャロットさんとは体制が変わってからのお付き合いになったけど、1頭の馬を多くの人たちが出資するシステムは、今の時代に合っているのかもしれない。おかげさまでダービーを勝たせていただいたし、会員の方々にも喜んでもらえたのは何より。感謝しています」2023年にはレイデオロの産駒がデビューを迎える。 「何頭も見させてもらったけど、しっかりとした仔が多い。牧場でも評判がいいようだし、この一族は気持ちが前向き。彼のように健康に育っていけば、走ると思いますよ。私も楽しみにしています」ダービー馬はダービー馬から昔からの格言が現実的になることを、レジェンドトレーナーも期待している。27ソルドラードの調教を見守る藤沢師Writer profile 和田 稔夫 Toshio Wada1974年生まれ。競馬専門誌『週刊Gallop』記者(美浦担当)。大学4年時、トラックマンを夢見て競馬エイト編集部にアルバイトで潜り込む。その後、サンケイスポーツレース部を経て週刊Gallop編集部に配属。サンスポ時代から長らく『藤沢和雄厩舎番』を務め、誌面では本誌予想を担当している。 ─。
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