ECLIPSE_202203_24-29
1/6

JRA通G1・34勝etc…。数々の偉大な記録は勿論、日本の競馬界を発展させたレジェンドトレーナーの功績は枚挙にいとまがない。馬なり調教や集団調教に距離適性の重視など様々な改革をもたらし、幾多の名馬を手掛けてきた藤沢和雄調教師がこの2月末で定年を迎えた。 「ずっと自分が好きな仕事をやってこられたし、たくさんの馬たちに勉強をさせてもらった。毎朝、厩舎に来て馬たちの顔を見るのが楽しかったしね。皆さんにも応援していただいたし、いろいろと感謝しています」実家は北海道苫小牧市の生産牧場。少年時代から兄たちと一緒に馬の世話をする毎日を過ごした。大学では中学校の教員免許を取得したが、「人に何かを教えるのは難しい。自分に適した仕事ではないと思った。子供の頃から動物が好きだったし、馬の世話には何倍もの自信があったからね」とホースマンの道に進んだ。父の知人が営む青藍牧場の仕事を手伝う中、日増しに近代競馬発祥の地・イギリスに対する憧れが募った。大学卒業後の1973年に単身で渡英。何の知識や語学力もないままで海を渡り、ニューマーケットのプリチャード・ゴードン厩舎で厩務員として働いた。 『(毎日、おおらかに笑っていられるような人たちが幸せな馬を育てる)同僚の言葉を支えに馬たちと向き合っHappy people make happy horse』算1500勝、JRA・た約4年間の日々は、「ホースマン人生の礎になった」と語る。イギリスで学んだことの全てが〝藤沢流〟の原点だ。帰国後は菊池一雄厩舎の調教助手になり、カツトップエースの2冠制覇に立ち会った。菊池厩舎の解散後、1983年からは野平祐二厩舎の調教助手に…。この年に入厩してきたのが、シンボリルドルフだ。7冠馬の調教にも携わり、岡部幸雄騎手との親交を深めるなど、「かけがえのない財産」を得た。とはいえ、馬の扱い方や調教の仕方など、自分がイギリスで見てきたこと─。    とは違うことばかり。「やりたいようMarch 2022 vol.24224調教へ向かう藤沢師とレイデオロ藤沢和雄調教師─名伯楽と共に歩んだキャロットクラブ所属馬たち─Text: 和田 稔夫

元のページ  ../index.html#1

このブックを見る