ECLIPSE_2022_13-19
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や好スタートを決めてハナを切ると、G1馬たちを相手に4馬身差をつける鮮やかな逃げ切り勝ちをおさめた。その光景はまさに、レシステンシアが阪神JFで見せたレースぶりとそっくりだった。馬主のフリオ・ロドリゲス氏にとって、これが初めてのG1勝利だった。 「距離を延ばしていくにつれて、馬のパフォーマンスが上がりました。彼女は最高の長距離馬です。他の馬はまったく脅威に感じません。朝は穏やかで、調教のときもあまり感情を出しませんが、レースになると少し緊張するところがあります。落ち着いてレースに臨めるようになれば、さらに良い走りができると思います」 「マラコスタムブラダは、私が他の馬では見たことがないようなパフォーマンスを競馬場でやってのけました。彼女はまさにレースマシンでした」返って称賛した。かった。ダートに行くも良し、牡馬に挑むも良し。マラコスタムブラダには明るい未来が待っているはずだった。しかし、ここで大きな敵が彼女の前に立ちはだかった。レース後に怪我が判明と、コスタ騎手が評価すれば、と、ベネディクト氏も当時を振りもはや、牝馬同士に敵は見当たらなしたのである。華奢なボディーが、積んでいるエンジンに耐えられなかったのだろうか。まだ3歳であることから、当初は数カ月休養して現役を続ける予定だった。だが、10月に再び故障を発生し、現役を引退することが決まった。ここで登場するのが、チリを拠点とするサウス・アメリカン・ブラッドストックのネルソン・セプルベダ氏である。数々の南米牝馬を日本に送り、現在はチリのマトリアルカ牧場で種牡馬として供用されているヒラボクディープの導入に携わった人物でもある。 「私は日本のエージェントと仕事をしており、南米のG1牝馬を輸出候補として何頭かピックアップしていました。そのうちの1頭が、マラコスタムブラダでした。長い距離で結果を残しているのが良い点でした。なぜなら、長距離を得意とするアルゼンチン牝馬が、日本で結果を出していたからです。日本のエージェントはマラコスタムブラダの身体が小さいことを不安視しました。ですが、私はプルマの血統は走ると信じていたので、推薦することにしました」プルマは、レシステンシアから見て3代母にあたる。出走時の馬体重は常に450㎏前後だったが、1990年にアルゼンチンの2歳G1を3連勝し、その年の最優秀2歳牝馬に選出された。引退後はアルゼンチンのフィルマメント牧場で繁殖牝馬となり、2002年にポリグロートとの間にマプルウェルズを産んだ。そのマプルウェルズは若駒のときにラ・パシオン牧場に売却され、現役時代は2勝をあげた。引退してから現在まで、同牧場で繁殖牝馬として過ごしている。また、プルマの孫にヘイローローマという牝馬がいる。この馬はアルゼンチンからウルグアイに輸出され、2007年にミステルアジェーバとの間にアネステシアという牝馬を産んだ。アネステシアは、2010年にウルグアイのオークスにあたるG1セレクシオンを、2011年にウルグアイのエリザベス女王杯にあたるG1シウダー・デ・モンテビデオを優勝し、ウルグアイの年度代表牝馬に選ばれた名牝だが、レース優勝時の馬体重はそれぞれ440㎏、434㎏と小柄だった。確かに、プルマの血統は小さいけれども走る。 「私は馬主と交渉するため、チリからアルゼンチンへ飛びました。馬主は所有馬を外国に輸出するのが初めてでした。私はノーザンファームのような日本最高の牧場のために、最高の牝馬を選びたい一心でした。私たちはパレルモ競馬場内にあるカフェ・ラ・パリスで       会い、20分後には交渉が成立しました」こうして、身体が小さくて何の取柄もないと思われた牝馬は、地球の裏側にある世界有数の牧場で繁殖入りすることになった。母となってからの活躍は言うまでもない。小柄であることが懸念されたFebruary 2022 vol.24118日本へ出国前のマラコスタムブラダとネルソン・セプルベダ氏(提供:同氏)レシステンシアの母マラコスタムブラダ─小さな身体に込められた「情熱」─

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