行していた田代宗昭厩務員は、実はマルシュロレーヌの担当でもあった。フランスにきたことで、ブリーダーズCへの同行は叶わなかったが、その際にマルシュロレーヌの遠征について 「大井に遠征したときもそうだったけど、環境が変わることにちょっとナーバスな面があるので、もう1頭と行けることは間違いなくいいはず」と、話を聞けたことで、合点がいった。さらに 「金沢のJBCはコースが合わないと思うんですよ。相手も強いし、海外の馬場がどうかわからないですが、アメリカのコースはいいと思います。体がふたつ欲しいですね」とも話していたことから、これは単なる帯同馬ではなく、勝負に行くのだなという手応えを感じることができた。つまり、これが半分ハズレの部分だった。ジアラビアでリヤドスプリントと、ドバイでドバイゴールデンシャヒーンに出走したジャスティンについて、 「日本に戻ったら、今度は芝を試してみようとも思うんだ。アメリカに近いこっちのダートでも先行できるだけの脚があるということは、芝でやれてもおかしくないと思うんだよね」という話を、ドバイでのレース後に矢作調教師から聞くタイミングがあった。ここに実はヒントが隠されていたかもしれない。父は同じオルフェーヴル。ダートから芝へのスイッチもあれば、その逆も然り。マルシュロレーヌ自身、昨夏までは芝を主戦場に3勝クボーダレスというところでは、サウラスでも勝ち負けをしていた馬で、まさに芝からダートのスイッチがハマった馬だ。 「以前からアメリカのダートを勝つには、芝でも通用するスピードが必要だと思っていた。マルシュロレーヌはまさにそう」とブリーダーズCの戦前に発した言葉からも、すでにドバイの時点で、その先を見据えていたとしても、今となっては不思議ではない。そもそも、矢作厩舎は芝とダートについてもボーダレスであった。代表的なのは安田記念とフェブラリーSで、芝・ダートのG1を制したモズアスコットの存在で、適性を見極め、大胆に且つ当たり前のように芝・ダート分け隔てなく使った蓄積は、今回の偉業に大きく寄与しているだろう。そうでなければ、大井、門別と使ったあとにデルマーという発想には、簡単にはならないはずだ。 実は、前走が門別であったことは、現地アメリカでもちょっとした話題になっていた。顔見知りの記者が筆者に皆、尋ねる。 「モンベツってどこ?」と。しかも、レース名は「ブリーダーズゴールドC」だ。 「これはブリーダーズCチャレンジでもないよな?」彼らとてプロだ。JRAの競馬場なら把握はしている。 「サッポロとは違うのか?」日本でもライトファンでは中央と地方の区別がつかないのだから、これは無理のない話だ。中央競馬と地方競馬をまずは理解してもらい、ダートグレードの仕組みを説明した上で、ようやく納得してもらえた。JBCについて聞かれたらどう答えようか、冷や冷やしたものである。マルシュロレーヌは僚馬のラヴズオンリーユーとともに、₁₀月7日に美浦トレセンに一旦入厩した。関西馬である2頭をわざわざレースの1カ月前に美浦入りさせたのは、まず貨物便が成田空港からロサンゼルスに飛ぶので、美浦からであれば成田空港までの陸送時間が短いことがまず理由のひとつ。そして、デルマー競馬場入りしてから十分に環境に慣れる期間を逆算し、さらに環境の変化が短期間で連続しないように、美浦での滞在も長めにとるこ13
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