いなければならないというルールがあった。これが現在は撤廃され、例えば10日前の到着でも大丈夫ですよというアナウンスが英国側から届いていたのだが、陣営が選択したのは、レースた。早めに入り、現地の環境に慣れるための時間をたっぷりとりたいとの判断があったと聞く。ここから逆算し、7月26日にノーザ ンファーム天栄で出国検疫入り。8月2日の夜に成田を発ち、仁川経由で現地時間の3日午前にフランクフルトに到着。同日午後に馬運車でフランクフルトを出て、4日早朝にニューマーケットへ到着というスケジュールが組まれた。無事に乗り切った。ほとんど体を減らすことなく、ニューマーケットに入ることができたのだ。ロードに面したチャーリー・フェローズ厩舎だ。かつて、この厩舎の主はルーカ・クマーニ調教師で、その時代にハーツクライが入ったのも、この厩舎だった。ると、翌15日には早速、ヨーク競馬場へ下見に向かった。ヨーク競馬場の待機厩舎は向こう正面にあり、出走馬は馬場を横切る形で伸びる馬道を通っ輸送という難関を、ドゥレッツァは現地での拠点となったのは、バリー尾関知人調教師が14日に現地入りすて、パドック脇の装鞍馬房へと移動する。そうした動線の確認も大切な目的だったが、さらに重要だったのが、待機馬房の環境を見ることだった。ニューマーケットからヨークまで、馬運車だと4時間余りの道のりだ。当日輸送の馬もいれば、前日輸送の馬もいるが、ドゥレッツァ陣営が目論んだのは、レース2日前のヨーク入りだった。19日に輸送し、20日の朝は馬にヨークの馬場を見せ、パドックなどのスクーリングを行うことを画策したのである。ただし、競馬場で2晩過ごすとなると、大切になるのは待機馬房の環境だ。15日の下見で、待機馬房が快適な空間であることが確認できたことで、ドゥレッツァのヨークへの輸送はた。その前日の18日に、ニューマーケットのアルバハスリ調教場で最終追い切りが行われ、ドゥレッツァは軽快な動きを披露した。 20日のヨークにおける調教は、向こう正面のみ使用可となり、朝7時に待機馬房を出たドゥレッツァは、軽いキャンターで向こう正面を往復。その後、パドックを3周ほど回って、前日の調整を終えた。インターナショナルS当日。パドックの、スタンドとは反対側にある建物1317日前の8月4日到着という日程だっ19日の午後に行われることが決まっ
元のページ ../index.html#4