ヒーン(G1)をタズで、また、ドバイワールドC(G1)がローレルリバーでいずれも優勝しました。まずは、タズからお聞かせください。 「はい。直前のサウジアラビアで走ったG3のリヤドダートスプリントで全く走らなかったので、心配をしました。でも、更にその前のメイダン競馬場で走った時は、強い勝ち方をしていました。メイダンに戻れば…という気持ちはあったのですが、その通りという走りをしてくれました。サウジアラビアが実力で負けたわけではないことを証明できたので、ホッとしました」ローレルリバー。2着をぶっち切っての快勝でした。 「ローレルリバーは、初めて跨った時から『凄い馬だ!!』と思ったのを覚えています。自分が今まで乗ってきた、どの馬よりも強いと感じました」初めての2000m。不安はありませんでしたか? 「全くありませんでした。普通に走れば勝てると思っていました。正直、自信しかありませんでしたから……」は考えられましたか? 「はい。そのくらいの資質を持った馬だと思っていたので、楽勝したのも全く驚きませんでした。『あぁ、やっぱりな……!!』という気持ちでした」出ていましたが?そして、ドバイワールドカップのただし、ドバイワールドカップはとはいえ、あそこまで大勝するとそれでも、派手なガッツポーズが 「ドバイワールドカップを勝つことは、ドバイをベースにして乗っているジョッキーとしては大きな夢であり、目標の1つですからね。勝てたことは素直に嬉しかったです」さて、ドバイワールドカップ優勝を手土産に今回、初来日したわけですが、日本で乗ってみたいという気持ちは以前からあったのですか? 「はい。それはもう昔からありました。ウシュバテソーロがドバイワールドカップを勝った(23年)けど、それ以前から日本馬の強さは良く分かっていました。また、武豊騎手は私にとって憧れの存在なので、一緒に乗りたいという気持ちがずっとありました」そんな日本に実際に来てみて、驚いたことなどもありましたか? 「日本の文化には興味がありましたが、実際に来てみて驚いたのは、人が皆、優しいことです。今回、身元引受調教師になってくれた国枝栄調教師は本当に親切にしてくださったし、ジョッキーの皆やJRAの職員の方々、それからファンを含めた日本人の皆が優しかったです。お陰で毎日、楽しく過ごすことができました」競馬関係で驚いたことはありましたか? 「レース前日から調整ルームに入らなくてはいけない等、驚かされた点は多いです。ただ、それに関しては来日する前から聞いていたので、嫌ではありませんでした。その調整ルームだけ───────9ローレルリバー 2024ドバイワールドカップ優勝タイグ・オシェア Tadhg O'Shea 1982年2月1日、アイルランド出身。競馬とは無縁の家庭で育ったが、乗馬を通して興味を持ち、騎手となった。デビュー戦は2000年4月、アイルランドのコーク競馬場。同年6月、同国北部にあるスライゴ競馬場で初勝利を挙げた。 翌01年にはアラブ首長国連邦・ドバイに活躍の場を移す。その後、計12回もリーディングジョッキーに君臨。近3シーズンも連続で、その座を守っている。 初G1勝ちは16年、シルバニヤスを勝ってイギリスのサンダウン競馬場でマーク。原稿中にも記した通り、今年はドバイワールドカップデーにてタズでドバイゴールデンシャヒーン(G1)を勝つと、ローレルリバーでは念願のドバイワールドカップ(G1)制覇を成し遂げる。その後、初めてJRA短期免許を取得し、来日を果たした。
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