ECLIPSE_202401_18-21
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ミュール陣営がガッツポーズをしているのが見えた。 「僕もガッツポーズで応えました。これだけ能力のある馬に大きなレースで乗せていただいて、感謝しかありません」ナミュールを迎えに、陣営が馬場に出た。その後ろから駆け寄った時のことを、高野師はこう振り返る。 「ナミュールがG1を勝てる力があるのは、わかっていました。なのに、これまで勝たせてあげられなかった。マイルチャンピオンシップで勝った瞬間、自分にかけていたプレッシャーから解放されて、一気に涙が溢れました。普段なら検量室前で愛馬を迎えるところですが、早くみんなのところに行きたかった。一緒に喜びたかったんです」この日のナミュールは、過去最高のコンディションで走ってくれた。幾多の苦難にも屈せず、ナミュールの成長を待った結果が、ようやく実った瞬間だった。振り返ってみると昨春はヴィクトリアマイル7着、安田記念16着と散々な結果で終わっていたナミュール。もちろん不利もあっての着順だが、厳しい言い方をすれば、不利を跳ね返してまで勝つ力がなかったとも言える。富士Sからマイルチャンピオンシップと連勝できた背景を高野師に尋ねると──。 「不利があって負けた直後は、頭を抱えるほど悔しかったですよ。でも、冷静になって考えてみると、ナミュールに限らず、競馬では様々なことが起こります。不利があっても立て直して好走するタフな馬だっている。例えば、2010年の凱旋門賞で2着だったナカヤマフェスタは直線入り口で大きな不利を受けましたが、あれだけ頑張ってワークフォースとの接戦の末2着になった。そんな逆境にも屈しない精神力を、ナミュールにも持って欲しいと思いました」はない。好スタートを切るためにはゲート内での駐立も重要だし、競馬場到着後の落ち着きなど、クラスが上がるほど多様な力が問われる。 「最高峰が集うG1クラスになれば、勝利に欠かせないのは精神力だけで競走馬としての総合力が問われます。昨春は不本意なシーズンとなりましたが、大舞台で勝てるだけの総合力が備わっていなかったとも言えます。実は安田記念後に、ナミュールは心身ともに疲弊していたんです。そこで、生まれ育ったノーザンファーム空港牧場で休養させていただくことにしました。体をケアして、気持ちをリセットできたことで成長が促され、昨秋の連勝につながったのだと思います」実際、3歳クラシックの時期はトレセンでも落ち着かない仕草を見せていたナミュールだが、マイルチャンピオンシップ用の立ち写真で見た時には、どっしりと構え、悠々としていた。 「普段の調教では、人が乗ると従順なんですよ。半面、馬房の中では自分の世界があって、難しいところもあります。担当厩務員が優しく包み込むタイプなので、ナミュールに合っているんでしょうね」入厩時からの担当者。それが、平川智彦厩務員だ。平川厩務員は、3年後には定年を控える大ベテランだ。18歳の時に田中四郎厩舎に入ったが、調教師が亡くなるまでの7年間で7勝しかできなかった。その後はディープインパクトやステイゴールドをはじめ、多くのG1馬を送り出した名門・池江泰郎厩舎に移る。そして、2カ月ほど経った頃のことだ。他の人が担当するメジロデュレンが有馬記念を勝った。衝撃だった。いつか自分もと願ったが、平川厩務員が重賞を勝ったのは21年後。サクラオリオンでの中京記念だった。池江泰郎厩舎解散後に現在の高野友和厩舎に移り、ナミュールでようやく悲願のG1を手にした。平川厩務員がトレセンに入ってから、43年の月日が流れていた。 「ナミュールはいろんな人から走る馬だと言われてきましたが、G1はなかなか勝てませんでした。1番人気でも勝てず、ヴィクトリアマイル、安田記念でも負けて、自信もなくなりました。でも、休養から帰ってきたナミュールを見て、ハッとしたんです。パワーアップしていて、皮膚に触れた時の感触も弾力があり、筋肉がつまっている精神的な成長January 2024 vol.26420       43年目の初G1勝利─マイルチャンピオンシップ2023─ナミュールの激走を支えた男たち

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