後者の引用は、70年のスプリンターズSについて書いた報知新聞の予想コラム。寺山が本命にしたシャダイセンターは5着だった。旧3歳時に3連勝した実力馬。皐月賞では4番人気に支持されたが7着に敗れた。〈関西のハイプリンスはタニノムーティエよりも強いのだ、という声が一部にはあった。北海道三歳ステークスに勝ち、シンザン記念を勝ち、いよいよアロー、ムーティエとの正面衝突という矢先に、調教中の事故という、タマアラシと同じような不慮のアクシデントで、姿を消してしまったのである〉(「ダービー探偵のでまかせの推理」)結局、皐月賞が最後のレースとなった。通算10戦5勝。煌めく才能を感じさせながら、それを開花させることができなかった不運が、寺山の琴線に触れたのか。乗馬をたしなみ、馬券も買う女性のモノローグとして、こう書いている。〈カミノリュウオーは機敏そうで、バネがきく感じね。それに色の配合がいいわね。あんな感じの男の子は、まわりにはいないわね〉(「馬とロックとコこの馬が実ミック」)開したり、馬のプロフィールを紹介したりすることも多かった。関連の馬は何頭もいる。といっても、予想コラムでヒモとして馬名を挙げただけの馬もいるので、それらの名は付表に記す。も、似たような文章をどこかで読んだように感じているのではないか。それは当然で、競馬が好きな五十代以上のプロの書き手のほとんどが寺山の影響を受けているからだ。本人にそのつもりはなくても、必ず直後・間接的に影響を受け、「寺山的」なものを書いている。それほど大きな存在だった。青森出身の作家としては太宰治と、競馬好きの作家としては菊池寛、吉川英治寺山は、男女関係に絡めて予想を展ほかにも寺山が書いた社台グループここで初めて寺山の存在を知った人と並び称される存在だった。 「スシ屋の政」や「バーテンの万田」といった登場人物の軽妙なやり取りで予想を展開していく手法も、寺山がルーツだ。競馬に携わる人馬やレースを描写する切り口が独特で、言葉づかいには詩人ならではの繊細さとユーモアと、ときに厳しさがあった。判官贔屓だったが、73年に無敗で皐月賞を勝ったハイセイコーは好きだったようだ。地方競馬出身という出自と、圧倒的1番人気に支持されたダービーで敗れたことに、気持ちを揺さぶられたのか。私が一番好きな寺山の作品は、ハイセイコーの引退に寄せて詠んだ「さらばハイセイコー」という詩だ。〈ふりむくと から始まり、失業者、酒場の女、ピアニストなど、さまざまな人間とハイセイコーとの心のつながりに触れ、終盤に〈ふりむくな と出てきて、ハッとさせられる。寺山は、83年5月4日、肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発し、世を去った。ハイセイコーが天に召されたのもと早かったが、ハイセイコーは30歳まで長生きした。寺山修司という、競馬を愛した素晴らしい書き手がいたことを、すべての競馬ファンに誇りに思ってもらえると、「永遠の寺山ファン」である私にとって、これほど嬉しいことはない。 (画像提供一人の少年工が立っている〉うしろには夢はない〉本文中敬称略テラヤマ・ワールド)■ ハイプリンス(牡、1967年生、■ カミノリュウオー(牡、1973年父ガーサント、母ピースホープ、社台ファーム千葉生産)生、父シプリアニ、母ラウリンス、社台牧場生産)September 2023 vol.26010Writer profile 島田 明宏 Akihiro Shimada作家。1964年札幌生まれ。早大政経学部中退。「優駿」「ナンバー」「netkeiba.com」などに寄稿。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞受賞。今年12月20日に競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』(集英社文庫)を刊行予定。他の著書に、ドラマ化された『絆〜走れ奇跡の子馬〜』など。本誌に「あの蹄音をもう一度」を連載中。 ─ ─ 17年後の5月4日だった。寺山は47歳競馬エッセイ集の草分け的存在となった本「競馬場で会おう」と「死神カブトシロー」直筆原稿ハイセイコーよ元気かい(寺山修司作詞)寺山修司と社台グループ─奇才は社台グループの馬たちをどう描いたのか─
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