2005年のフローラSなど重賞を3勝し、繁殖牝馬としてディアデラマドレ、ドレッドノータスなどの重賞勝ち馬を送り出したディアデラノビアが、今年4月10日、世を去った。21歳だった。ディアデラノビアは、02年1月28日、ノーザンファームで生まれた。父サンデーサイレンスから、高い競走能力と激しい気性の両方を受け継いだこの馬は、栗東・角居勝彦厩舎の管理馬となった。のちに「世界のスミイ」と呼ばれる角居は、この馬が入厩してきた04年に開業4年目。同年の菊花賞をデルタブルースで勝って管理馬によるG1初制覇を果たし、これからさらに飛躍しようというときだった。その気鋭の調教師のもとに、ディアデラノビアは、同い年の名牝シーザリオとセットになってやって来た。角居はこう振り返る。 「獣医師で、当時ノーザンファームの場長だった秋田博章先生(現キャロットファーム代表)が、『この厩舎にはこれ、という優れた繁殖牝馬がいると、厩舎は強くなる』と教えてくれたんです」自身が競走馬として活躍したほか、その仔や近親の馬たちも好成績をおさめ、角居厩舎を支える「血の力」となった。新馬戦でデビュー勝ちし、翌05年1月の白梅賞も連勝。チューリップ賞で7着、つづくフィリーズレビューで4着となったあと、武豊を背にしたフローディアデラノビアとシーザリオは、ディアデラノビアは04年12月の2歳ラSで重賞初勝利を挙げた。その勝ちっぷりが凄まじかった。後方を掛かり気味に進み、直線で外に持ち出されると、メンバー最速の上がりで前をまとめて差し切った。角居によると、この馬は気難しく、いつもイライラしていたというが、その激しさを末脚の爆発力に転換したのだろう。次走のオークスでは、勝ったシーザリオからコンマ1秒差の3着。世代トップクラスの力を見せつけた。また、この馬は、翌春のマイラーズCから秋のエリザベス女王杯まで、5戦連続3着になっている。条件戦ではレッドレビンによる8戦連続3着という記録があるが、重賞ではディアデラノビアの「5」が最多連続3着記録(JRAが発足した1954年以降)である。燃えやすい気性が、能力の全開を妨げていたのか。この馬が現役を引退してからも、角居は強い牝馬について語るとき「ウオッカは誰に対しても人懐っこく、シーザリオは一部の人間にしか心を開かず、ディアデラノビアはいつも闘争心を表 ─ に出していた」といったように、しばしば引き合いに出していた。伯楽の「牝馬観」に大きな影響を与えた1頭だった。繁殖牝馬としても非常に優秀で、自身に似た、気持ちも体も強い仔を次々と送り出した。初仔から最後の12番仔メグスタスまで、すべてがキャロットクラブ所属馬としてデビューし、2番仔ディアデラマドレは母仔制覇となった愛知杯など重賞を3勝、5番仔ドレッドノータスは京都大賞典など重賞を2勝している。8番仔カウディーリョ、その下のグレイトオーサー、ディオスバリエンテ、グランディア、メグスタスは現役だ。また、ディアデラマドレの仔のクラヴェル、フェットデメール、レガラール、7番仔エルディアンテの仔エルディアナといった孫たちもデビューしている。激しく、タフで、とてつもない爆発力を有した女傑ディアデラノビアの血は、これからも大切につながれていく。長い間お疲れさま、ディアデラノビア。天国で、安らかに。本文中敬称略(島田明宏)May 2023 vol.2565453
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